放課後は
さくら野貿易
さくら野貿易 放課後のページ


いわし雲
                           鈴木 敬一



 第9話 「画家と戦争責任

 先日、藤田嗣治展を見た。代表作である乳白色の肌の裸体画は、東洋調をにおわせた独特な美的魅力に満ちていて、海外でも高い評価を受けたというのももっともであろう。
 もう一点、わたしの目を見張らせたのは、「アッツ島玉砕」など五点での戦争画である。美的価値はわたしには分からないが、何よりも見る者を圧倒する迫力があり、心の新まで重くのしかかってきて、しばらくの間、その場を離れることができなかった。
 しかし戦後、戦争協力の責任を追及され、結局は、これが大きな転機となり、彼は再度フランスに渡り彼の国の国籍を取得することになる。このことさえも日本逃亡と非難される始末であった。
 今次大戦に対しては、種々な考え方、見方があろう。単に美術界のみならず、戦争に参加し戦争をおう歌した斉藤茂吉はじめ文学者・詩人もたくさんいた。藤田は言っている「この恐ろしい危機に際して祖国のため子孫のために戦わぬ者があったろうか。一兵卒として同じ気概で戦うべきでもある。その際は、戦争のために努力してしかるべき事だと思った。」
 そして、この戦争では日本のみが全面的に悪であり(わたしは絶対にそう思わないが)、それに協力した者は犯罪者として、それなりの処罰と責任をとれという論調が美術家のみならず、言論界・マスコミでも広く取上げられた。
 藤田は時代に迎合し、権力へ追従する者たちより、戦争画の責任を一人負わされ誹謗(ひぼう)され祖国を追い出されたとの見方が多い。
 いつの世でも多々ありうることだが、このような人をおとしめ自己防衛に汲々(きゅうきゅう)とし、世渡りのうまさのみで生きていく者こそ、批判され、糾弾されてしかるべきであろう。

   (本稿は『水産週報』 2006年5月15日に掲載されたものです)


[執筆者紹介]  [ 掲載一覧 ]