物語ハマっ子ノスタルジー


『新作落語 煙草が喫いたい』 第86話「煙草の思い出」より
(第5話)
                              広瀬裕敏

 ピンポーン
八「ごめんください。大家さん、ハチです」
大「何だねこんな時間に」
 ドアを開ける
大「どうしたい」
八「大家さん、相談があります」
 ハチは涙ぐんでいる。大家はとまどいつつ
大「そうか、まあ上がりなさい」 
 居間に通されたハチはしばらく下を向いている
大「まあお茶でも」
八「タバコすってもいいですか」
大「どうぞどうぞ。わしもヘビースモーカーだから」
 ハチはうまそうにタバコを燻らせる
大「で、どうしたい」
八「大家さん、どうして喫煙家はここまで迫害されなくてはならないのですか」
大「お、おう。最近はまあそうだな」
八「大家さんの古いアパートの小さい部屋で子供が生まれました」
 大家、若干むっとしながら
大「おめでとう」
八「出産祝いまだですけど」
大「相談とはそのことか」
八「それはまたゆっくり考えていただくとして、別のことなんです」
 ハチ、持ってる最後の一本に火を点け、タバコの箱をまるめる
大「家賃のことか」
八「あんな汚い部屋で高いとは思いますが、今日はまた別のことで」
大「早く言いなさい」
八「実はこのタバコのことなんです。女房はタバコが嫌いで、新婚当時から家では換気扇の前ですっていました。
大「しょうがないだろな」
八「子供が生まれると、子供の健康に悪いからと換気扇の前でもすうなと言うんです。今はベランダに追い出されています」
大「時代の流れだな」
大「さっきベランダから戻ると、タバコも値上がりするからすうのやめろと言うんです」
 ハチ、再び涙ぐむ
八「私は大酒くらうでもなし、一服だけが楽しみなんです。少ない小遣いの中でやってるのに」
大「カネの問題だけでなく、嫁さんはお前の健康を心配してくれてるんだろ」
八「大家さんみたいに独り身で誰も心配してくれる人いなけりゃ自由にすえるのに」
 大家、作り笑いしながら黙っている
八「そりゃ、もっと綺麗なマンションに引っ越すために、金貯めなきゃいけないのはわかります」
 大家、さすがに声を荒げて
大「お前、わしのアパートにケチをつけに来たんか」
 大家を無視して
八「家だけではありません。会社の二代目社長は社内を全面禁煙にして、喫煙所もありません。しょうがないから会社の玄関出てすってるのですが、今日は腕章つけたオバサンが寄ってきて、神奈川県は路上禁煙だと言うんです。私はどこですったらいいんですか」
 ハチ、ついに泣き出す
大「まあ落ち着きなさい。ここはいくらでもすっていいから」
八「あのう、タバコきらしてしまいました。一本いただいていいですか」
 大家、いやいやタバコの箱を渡す
大「それで相談というのは喫煙の場所かね」
八「それもそうですが、なんだか悔しくてたまりません。女房や社長や腕章のオバサンに何か反論できないでしょうか」
大「そうさなあ」
 ハチからタバコを取り返す
大「タバコは青春の思い出だな。背伸びして大人のフリする重要なアクセサリーだった」
 ハチ、相撲取りのように手刀を切って机の上のタバコに手を伸ばす
大「そもそも完全にタバコを覚えてしまったのは、高校の時行った鹿児島のユースホステルだった。同室になった連中に大学生と嘘ついたから、勧められるまま何本かすって覚えてしまった」
八「まるほど」
 ハチ、上の空で横をむいて煙をはいている
大「浪人の時は、予備校の授業さぼった連中が集まる喫茶店はタバコの雲の中だった」
八「いい時代でしたね」
大「大学生の時はコンビニもないし、煙草屋も夜は閉まってたから、友達の下宿でタバコ切らしたら、吸殻集めて辞書の紙に巻いてすったもんだ」
八「ほうほう」
大「そもそも安酒酌み交わす時にタバコがないともたなかったわな」
八「本当ですよね」
 ハチ、目を輝かす。大家、それに気がついて
大「ウイスキーでも飲むか」
八「そんなー。ありがとうございます」
 大家が持ってきたボトルを見て
八「これは絶対タバコが必要ですよね」
大「わしの酒は安酒だというのか」
八「滅相もない。高級酒にタバコは必要です」
大「昔の映画スターはみんなタバコが似合った。石原裕次郎しかり、勝新太郎しかり、松田優作しかり。みんな死んでしまったけどな。加山雄三はあまりタバコすわなかったな。ああ、加山雄三はまだ生きてるか」
八「タバコが健康に悪いこと証明してどうするんですか」
 ハチ、うまくつっこめたので堂々とタバコに手を伸ばす
大「とにかくだ。何か成し遂げたあとの一服は最高だな」
八「イッパツのあとのイップク」
大「下ネタか」
 ハチ、大家のツッコミを無視して歌いだす
八「ベッドでタバコをすわないでー」
大「エヘン。ともかくだ。喫煙を病的に嫌うのはアメリカとかオーストラリアとか新しい国が多い。ヨーロッパではちゃんと喫煙者の権利を尊重している。日本もかくあらねばならん。(しばらく間をおいて)喫煙は捕鯨とおんなじだな」
 大家、しんみりと続ける
大「そういえば反捕鯨の急先鋒もアメリカやオーストラリアだし。商業捕鯨禁止されて、鯨食べる人少なくなって、結局採算取れなくなって消滅する。反捕鯨国の思惑通りだ。タバコも高くなって、吸う場所も制限されて、人非人の野蛮人のように言われて、結局衰退する運命だ」
八「そんな大家さん」
大「ただわしは滅びる側に立ちたい。それだけのことだ」
八「はい」
 ハチ、頭を大きく揺らしてもう呂律がまわらなくなっている
大「おいここで寝るなよ。酒もタバコももうなくなったぞ」
八「すいません、大家さん」
大「いや、喫いなさい」

  
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