物語ハマっ子ノスタルジー


『バスガールの日記』 第32話「通学バス」より
(第1話)
                              広瀬裕敏

昭和41年8月某日
 今日課長さんに呼ばれて注意された。
 勤務時間中仕事そっちのけで運転手と私語を続けていたというのだ。
 頭に血が上って顔が真っ赤になった。
 確かに一度だけそんなことがあった。
 桜木町から横浜駅までの重工ドック(みなとみらいは昔三菱重工横浜造船所だった)沿いの道で、お客さんは確か4人しかいなかった時だ。
 終点まで降りるお客さんがいるとは思えなかったので、宮沢さんの脇でずっと話していた。でもちゃんと停留所の案内はしていたのに。
 あの4人の乗客の誰かが告げ口したに違いない。ひとりは小学生で残りはオバサンだった。
 何より頭にきたのは、そのあと宮沢さんと廊下ですれ違ったとき知らんぷりされたこと。
 せっかく話しかけてあげたのに。ストのとき(同年4月戦後最大の公共交通機関ストライキがあった)あれだけ盛り上がったのに。
 組合のお調子者。大嫌い!
 もうバスガールやめようかな。
 安定してるからって親に勧められて就職したけど、面白くもなんともない。高校3年のときもっと考えればよかった。
 将来は車掌なしで運行するって言うし。でもそんなことできるのかしら。
 東京出て歌手になりたい夢まだ持っている。美空ひばり二世なんちゃって。
 でも歌手は無理そうだから、おばあちゃんの田舎に行ってフラガールもいいかな。(同年1月常盤ハワイアンセンターが開業した)

昭和41年9月某日
 あの日からちっとも面白くなかった。
 今日宮沢さんと同じ路線で組んだ。ふてくされて手すりに寄りかかって仕事をしていた。
 桜木町を過ぎると乗客は3にんだけ。またあのときの小学生がいる。
 紅葉坂を過ぎたあたりで、最後尾に座っていたおばあちゃんがよろよろと歩いてきた。
 危ないなと思っているうちに急ブレーキがかかって停止し、おばあちゃんはオリンピックの体操選手みたいにきれいに前転した。
 私はあわてておばあちゃんに駆け寄った。
 宮沢さんはといえば、走行中に席を立ったら危ないでしょ、と振り返って言い、窓を開けて幅寄せした車をどなった。
 その前に「大丈夫ですか」でしょ。
 おばあちゃんは大丈夫だった。うまくでんぐり返ししたのがよかったみたい。ただびっくりしたらしく大きく目を見開いて、すぐに元いた席に戻っていった。
 私はおばあちゃんの最後尾の席に並んで座って、帯の汚れをはらっていた。
 そうこうしているうちに横浜駅東口に着いて、私はおばあちゃんの手を取ってバスを降りるのを手伝った。
 ごめんねおばあちゃん、と声をかけた。
 おばあちゃんはまた転んじゃうんではないかと思うくらい深くお辞儀をしてくれた。
 やっぱり車掌いなきゃダメでしょ。
 もう少しバスガール続けようかな。いわきのおばあちゃんにも会いに行こうかな。

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