物語ハマっ子ノスタルジー
『エリックの独白』 第22話「酒場逍遥」より (第2話) 広瀬裕敏 俺の生い立ちを聞きたいって? ノルウェーで生まれて今横浜に住んでいる。ザッツオールだ。 ノルウェーのどこかって?オスロ以外知ってるのか。 生まれはロフォーテンだ。今でこそ避暑地になってるようだが昔は何もなかった。北の果て、北極圏の漁師町だ。 最初は俺も漁師だった。選択の余地なんかないさ。学校出たら男は皆そうだった。 冬のタラ漁。辛い仕事だった。ニシンやサバも獲ったぜ。 そのうち外国に行って見たくなった。ノルウェー人は皆そうさ。ベルゲンで貨物船に乗せてもらうようになった。 最初に横浜に来たのは1965年だった。三十歳のときだ。噂どおり横浜の水はうまいと思ったのが第一印象だ。 二回目に横浜に来たとき女房に会った。 古株の船員に連れて行かれた大桟橋のたもとの北欧料理屋で、彼女はレジをやっていた。(レストランスカンジアのこと。今でも健在である) なんで横浜まで来て北欧料理かって?貨物船のコックはギリシャ人でな。うまいことはうまいんだが。 ギリシャ人とは昔も今もうまくやってるよ。横浜にいるギリシャ人は、日本人の女房もらって居着いた同士だからな。 曙町のギリシャ料理屋知ってるか。スパルタとかサロニコスとか。(曙町は昔ギリシャ村があった。今は風俗店が密集してギリシャ料理屋も閉店するか移転してしまった)今でもたまに行って、奴らの踊り(ギリシャ舞踊のこと)を見ながらウゾーを飲み潰すのが楽しみだ。 女房の話だ。てきぱき仕事をこなす彼女が好きになって、出航の日までひとりで行くようになった。 あるとき、高いのなんのってケチをつけるやつがレジで騒いでいて、俺が助けたんだ。殴り合いしたわけじゃない。脇に黙ってたっていただけでコソコソいなくなったさ。 まだ体重は百キロいってなくって、髪の毛もまだ少しは残っていた。 それから少しずつ会話をかわすようになった。彼女、英語がうまかったしな。 俺の英語?日本人と違うんだ、ノルウェー人は英語しゃべらなきゃ生きていけないさ。 それから何度も横浜定期船に乗って、短い停泊期間に彼女に会った。 ずっと迷っていたさ。彼女と暮らしたかったけど、陸に上がることも日本に住むことも決心がつかなかった。 決めたのは彼女の家に行ったときだ。山手の丘の向こうの下町の小さな家だった。和室しかなくて座布団をたくさん重ねて座らせてくれた。 父親はいなかった。戦死だそうだ。 母親の後ろから小さいおばあさんがでてきて、でっかい外国人に怯えることなく、俺を覗き込んで微笑んでくれたんだ。 その眼差しが俺の婆さんそっくりだった。嘘じゃない、そっくりだった。悲しそうだけど優しい眼だった。 そのとき思ったんだ。彼女が好きだったらどこに住んでも同じだってな。 一度ノルウェーに戻って、船員やめて家族に説明して、横浜に住み始めたのは1970年だ。 日本がやっと自信を取り戻したころだ。 結婚式は横浜海岸通教会だ。 シーメンズクラブ行ったことがあるかって?ああ教会がやってるバーだな。騒げないシーメンズクラブなんてなあ。お上品なジョンブル野郎のたまり場さ。(横浜スタジアムの脇にあった。教会経営らしく、お祈りの部屋まであった) 陸にあがっていろいろやったさ。コペンハーゲン(中華街の名門バー)のウェイターまでやった。デンマーク野郎に顎で使われるのは気に食わなかったがな。(大体近くの国は仲が悪い) そのうち陸にあがった俺が役たたずなのが、彼女にもわかったみたいだ。そもそも彼女の英語に頼って日本語はちっとも進歩しなかった。 彼女は働き者だった。英語を活かして本牧の基地(駐留米軍基地のこと)でも働いていた。 あるとき彼女は稼いだ金で小さいバーをやろうと提案してきた。人に使われるのが不得意な俺の居場所を作ってくれたんだ。それがここさ。 店の名前は俺が決めた。エリックズラストスタンド。いい名前だって?もう一杯飲め。 わずらわしい仕事は全部彼女がやってくれる。俺は酒を注いでるだけさ。 日本人は強い酒を喜んで注文するくせに、ちびちび飲みやがって、最初は見るに耐えなkった。馴れたけどな。 日本人はもちろん好きだよ。特に横浜の人間は俺みたいな奴でも受け入れてくれる。 お前みたいに好奇心丸出しで聞き出そうとしないからな。ああお前も浜っ子か。まあいろいろいるだろうけど。 彼女が失敗したのは俺の酒量が増えたことだ。ここでは飲み放題だからな。 彼女は俺の体を気にしてやかましくいってくれる。ありがたいことさ。 でもやめられないな。酒を飲んでる時だけいい思い出が蘇るんだ。 船でまわったいろんな港の風景。辛い漁師時代もいい思い出さ。暗い冬の海。天気の悪い日に小屋で網の手入れをする祖父さんの背中。 そろそろやめていいか。眠たくなった。 |
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