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さくら野貿易
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さくら野文壇 


彗星の如く「さくら野文壇」に現れた上野氏が贈る第一作目!
厚い氷に閉ざされたロシア極東の湾で、なぜ彼らは魚を釣るのか?
呼吸する度に鼻毛が凍結と解凍を繰り返す凍てつく大自然を舞台に展開される
どこか滑稽でうら悲しい人間の営みを温かく見守る作者の視線が
釘付けになってしまったのは、涙が凍ったせい・・・



 氷上釣り


 これはロシアの、海辺の村での出来事です。

 出張で田舎の海岸にやってきた私は、村のイワンから釣りに
誘われました。凍結した湾を遠くまで歩いていって、氷に穴をあ
けて釣るというやつです。それはおもしろいと約束したものの、
私は後悔しています。きのうから急に寒くなり、気温は零下二〇
度、風がヒュ〜ヒュ〜と吹いているのです。こんな天気の中、そ
んなことをやったら、生きて還れないかもしれない。でも、今さら
断れません。

 釣りの当日になりました。

 幸い気温は零下十二、三度ぐらいまで上がっていました。空も
快晴でした。しかし、風の方は、ヒュ〜ヒュ〜なんてものではなく
て、ブォーブォーでした。ものすごい烈風です。目がビックリして
涙を出します。風と凍気からひとみを防衛しようとするのです。
その涙がマツゲの先ですぐ凍るという凄まじさ。

 「なんでこんな目にあわなければならんのか」

 私は世の中を呪いながら、釣りを始めました。手回しドリルで
氷に穴をあけ、その中に糸を垂らします。穴の水はすぐにシャー
ベットみたいになります。放っておいたら凍ってしまいます。そこ
で網目のオタマでシャーベットをすくいだし、穴がふさがらないよ
うにするのです。その間も凍った風がおそろしい勢いで吹きつけ
てきます。

 早く釣ってこの場を切り上げないと、これは死ぬ! 

 私は必死でした。近くで糸を垂らしている村の人たちは、ときど
き釣り上げています。獲物は十五センチぐらいの、「氷魚」と称す
るやつです。釣り上げると、すぐにコチコチに凍ります。しかし、
私とイワンのグループは釣果がありません。私ばかりでなく、イ
ワンも焦ってきました。

 「誰か、コンドームをもっていないか」

 出し抜けに、イワンが言いました。なんとも場違いな発言です。
ところが、この氷魚、コンドームを使うとすこぶるよくとれるらしい
のです。

 「ウソだろう」

 私が言うと、

 「ウソではない。緑色のコンドームが特によい」

 イワンは平然と断言します。

 「まさか」

 半信半疑の私を尻目に、イワンの仲間がコンドームを取り出し
ました。それを見た周囲の釣り人たちが殺気だち、口々に騒ぎ
ました。

 「おお、コンドームだ、緑のコンドームだ」

 この騒ぎを見るに、コンドームで魚をとるというのはウソではな
いようです。コンドームを吊り下げると魚が喜んで中に入る。そ
んなバカげた釣りがあるとは知りませんでした。

 私は奇抜な光景を想像したのですが、実際のやり方はちょっと
ちがっていました。 コンドームを細かく切って針につけるので
す。魚はそれに食いつく。緑色の草に見えるのかもしれません。
ロシアのコンドームは黒とか桃色が多くて、緑色はめったにない
そうです。このあたりの魚は、最近はとんと緑のコンドームにお
目にかかっていないから、

 「これを使えば入れ食いだ」

 と、みんな興奮していました。

 それにしても、緑色のゴム状のものが必要ならば、使い古しの
作業手袋なり、輪ゴムなり、ほかに何かありそうなものなのに、
なぜコンドームという妙なものでなくてはならないのか、私にはさ
っぱりわかりませんでした。

 気になる釣果ですが、イワンとその仲間は誰もが一匹又はゼロ
でした。コンドームの威力はさほどでもなかったようです。私だけ
が二匹釣りました。必死の度合いがちがったのでしょう。

 「ウエノさんこそ、真の漁師である!」

 人々の賞賛を浴びて、私はちょっと気恥ずかしかった。

 こうして私は、氷の地獄から無事生還することができたのです。

 あの風変わりな村では、今も休日になると、男たちが街角に
集まって、

 「もってきたか」

 「おお、もってきた」

 なんてことを言いながら、コンドームを見せ合い、

 「さあ、出発だ!」

 と、意気揚々と海に向かって行進しているのでしょうか。今ふり
返っても、まるで夢のような村というほかありません。


 (2002年2月、上野)

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