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さくら野文壇 

【第2作目】

運命のいたずらか、ロシアと同じH組に入ってしまった日本チーム。
ウラジオストクに集まった日露水産関係者等の話題も、
いつの間にやら魚からサッカーへと移る。
日露対決を前に、なにやら神経戦が開始された模様。


 ワールドカップ

 いつもは好きなことを言い合いながら一緒に仕事をしているロシア
の漁師仲間が、今日は奥歯にモノがはさまったような言い方をしま
す。いかにも申し訳なさそうな顔で私を見るのです。その理由を知っ
ている私は、少々腹を立てています。

 原因はサッカーです。ワールドカップ一次リーグの組み合わせが決
まったからです。日本とロシアが同じ組で戦うことになったのです。
 「すまんが勝たせてもらいます」
 連中の顔にそう書いてある。

 日本とロシアは、ベルギー、チュニジアとともに、決勝トーナメント
進出をかけてH組で戦うことになったのですが、本当に腹立たしい
ことに、この組み合わせを知ったロシア人たちは狂喜しました。中
でも気の早いイワンときたら、
 「おお、神よ、ありがとうございました」
 なんてことを言って、もう戦勝気分でいます。そこに私が顔を出し
たものだから、彼らはバツが悪かったのです。

 「まあ、いいじゃないか。日本には二位になるチャンスがあるんだ
し」
 イワンが言いました。一位チームだけでなく、二位のチームも決勝
トーナメントに進めることを彼は言っているのです。イワンとしては気
を遣ったつもりのようですが、ロシアの一位は揺るがないと言外に
言い切っているところがカチンとくる。

 こんな調子のイワンと比べて、運転手のアンドレイの態度は立派
でした。彼はサッカーとなると目の色が変わる典型的なロシア人な
のですが、すこぶる研究熱心な男で、日本ロシア戦がおこなわれる
日(六月九日)も場所(横浜)も知っていました。ナカタという選手が
要注意だとも言いました。さらに、開催国がいかに有利かを指摘し
た上で、
 「日本はあなどれない」と断言したのです。嬉しいことを言ってくれ
るではありませんか。

 はじめは笑いながら聞いていたイワンでしたが、アンドレイの話が
日本の気候に及んだとき、さすがのイワンも表情を曇らせました。

 アンドレイは、数年前、夏の東京に来たことがあります。三〇度を
超える東京で、彼が半死半生になったことは私もおぼえています。
ボクサーあがりの大男が、まるで夏の砂浜に打ち上げられたクラゲ
みたいになったのです。アンドレイは身を震わせてそのときの恐怖
を語り、
 「日本の気候はおそろしい」
 とつぶやきました。

 「ウエノさん、日本の六月はどうなんだ」
 不安な顔でイワンが訊いてきました。

 「最悪の雨期だ」
 私は、日本の梅雨をできるだけおどろおどろしく解説してやりまし
た。

 イワンは少しばかり弱気になったようで、
 「昔に比べてロシアチームの力も落ちているからなあ」
 などとブツクサ言い、ロシアが一次リーグで敗退することもあるか
もしれないと認めました。高揚感が去ると冷静な見方もできる男な
のです。ところが、そう思ったのもつかのま、イワンはやはりイワン
でした。彼が言うには、
 「万が一ロシアが負けても、日本もどうせ負けるから、どっちも負
けて丸くおさまる」

 トルシエさん、がんばってください。なんとしてもロシアを破って決
勝トーナメントへ行ってください。あの不遜なイワンの鼻をあかさな
ければならない。

(2002年3月 上野)

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