さくら野文壇

【第4作目】

もしも、アンリ・ファーブルがロシアで生まれていたなら、
偉大な昆虫学者となり得たであろうか?
今回はこの難題に挑みます。


 蝉の声


 声聞けば暑さぞまさる 蝉の羽の 薄き衣は身に着たれども

 平安時代の女流歌人、和泉式部の詠嘆です。さすがの王朝女性も、
夏ともなると十二単の重ね着なんてとんでもないといった風情です。
紗の薄織物でしょうか、蝉の羽のように薄く透けたのを一枚身につけ
るだけという大胆さ。それでも暑いと嘆いています。蝉の声が響くとさら
に暑いと。日本の夏は、千年前も今と同様、蝉の声が空に満ちていた
ようです。昔から夏ごとにこれを聞いてきた日本人は、「蝉の声=夏=
暑い」という関係が体に刷り込まれてしまい、蝉の声がテープレコーダ
ーから流れるだけでソーメンが食いたくなる。これは映画の手法にもな
っています。青空と雲を写して、そこに蝉の声を流しておけば、日本の
観客なら一人残らず、それは夏の場面であり、しかも暑い日だとわか
る。私のような田舎育ちならば、蝉の種類と鳴き方によって、およその
時刻まで言い当てることができます。

 かくのごとく夏にピタッと貼りついて、夏そのものになっている蝉の声
が、この世から消えてしまったら、いったいどんなことになるのでしょう。
蝉のいない夏、あの声がまったく聞こえない夏、そんな風景を想像して
ください。夏の雰囲気は様変わりし、落ち着いたような、それでいてどこ
か気の抜けたような、妙な感じになりそうです。

 実はロシアの夏がそうなのです。ロシアといっても広いから、中には
蝉が鳴く地域もあるとは思いますが、多くのロシア人は蝉の声など聞い
たことがない。ロシアの夏は、日が長いこともあって、けっこう暑くなり
ます。二七、八度はザラで、三〇度を超える日もある。しかし森にも山
にも蝉はいません。空はきわめて静かです。森の木々は静寂と陽光に
つつまれて、ときどき風が葉を揺すり、折にふれ鳥がさえずる程度で、
それ以外は何も聞こえない。私などは何かしら物足りないような気もす
るのですが、ロシア人からすると日本の夏こそ奇抜で、日本に来たロシ
ア人は、絶え間なく響き渡る蝉の声が気になって仕方がないのです。
怪訝そうな顔で「あれは、いったい何だ?」と必ず聞いてきます。

 ロシアは、セミに限らず、そもそも昆虫の数が少ないのです。夏の
終わりごろ、ロシアの田舎町に滞在していたとき、私は急に思い立っ
て、休日を野外観察に費やしたことがあります。晴れた日の午前と
午後、並木通りの木々の辺りや空き地の草むらなどで虫を探したので
す。

 午前中に見つけた虫は、空中にチョウが二匹のみ。地面に虫はいま
せんでした。アリさえいない。草地には黄色や薄紫の花が咲いていま
したが、やってくるのが蝶々二匹では、花も困るでしょうに。私はしゃが
みこんで手で草をわけたり、石を持ち上げたり、立ち上がって木の幹を
見上げたり、葉を裏返したり、花をしげしげ眺めたりしました。妙なやつ
がいるなと道ゆく人は思ったことでしょうが、午後もこれを繰り返しまし
た。日が高くなったせいか、午前中より成果がありました。成果といっ
ても、バッタ一匹、シオカラ風のトンボ一匹、白いチョウが四匹、黄色い
チョウ一匹、腰細のハチが一匹、それに姿は不明ながら、草むらの中
からかすかに聞こえる虫の音が二種類。これで全部です。いかに盛夏
を過ぎた市街地とはいえ、歩けば汗ばむ陽気の中、緑なす広い空間を
一日かけて探しまわって、たったこれだけの虫しかいないのです。地面
に至っては、土の上にも、草の根元にも、石の下にも、生き物がいな
い。私は軽いショックを受けました。

 なぜロシアに昆虫が少ないのでしょう。ロシアの夏の気候は、昆虫の
生息にとって別に不都合はありません。しからば冬が関係しているに
ちがいない。大多数の昆虫は、冬は卵か幼虫です。卵といえども生存
できない環境がロシアの冬にはあるのでしょう。たぶん土です。ロシア
の土は、冬は凍土と化してガチガチに固まってしまいます。土の中で
冬を越す連中は、とても生きられない。その典型がセミです。セミは
ロシアの冬を越せないのです。水の中はどうか。冬は結氷するとは
いえ、厚い氷の下の方にまだ水があるから、どうにか生存可能と思わ
れます。だからトンボがいるのでしょう。木の根元の樹皮の中とか、草
の茎や葉に卵を産みつける手もあります。凍気に吹きさらしでは一巻
の終わりですが、雪に埋もれれば死なずにすむかもしれない。このよう
にして、かろうじて冬を生き延びた数少ない連中だけが夏に現れるの
です。以上は素人の当て推量ですが、そんな風に考えていくと、蝉の
声というのは、いのちの数を告げているようにも思えます。蝉が鳴く
土地は、冬も多くの生命が土の中で育まれているのに対して、蝉の
不在は、生き物にとって致死的な冬の凍土を連想させるからです。

 蝉の国から来た私は、たまに昆虫を見つけたりすると、「あ、こんなの
もいたんだ」と、ロシアの夏のからっぽ感が少し埋められたような気が
して、しばしの間、その虫にかかずらわってしまいます。私のこの態度
がいつもロシア人を困らせます。野外観察の日に聞いた草むらの虫の
音をイワンに話し、どんな虫が鳴いているのだろうかと尋ねたとき、彼は
「そんなの、いるのか?」と首をかしげるばかりでした。「あの声は羽を
こすり合わせているのだと思うが」と、私は身振りを交えながら、「そう
いう虫がいるだろう」と重ねて訊くと、彼は口をポカンとあけていました。
どうも話題が(それに身振りも)非日常的すぎたようです。森の麓で
ナナフシに似た虫を一匹見つけたときも、私は指でつまんでイワンに
示し、その虫の名を尋ねました。彼は、もう勘弁してくれ、と言わんばか
りに、泣きそうな顔で途方に暮れてしまいました。どうもイワンは虫には
無関心のようです。関心を向けるのは敵意があるときだけ。たまにイワ
ンの会話に登場する虫の名前といえば、ゴキブリ、ハエ、カ、ダニといっ
た類で、彼にとって虫は異形の邪魔者なのです。日本にもそういう悪辣
な虫はいるけれど、虫といえばトンボやカブトムシ、セミやコオロギなど
をまず思い浮かべる我々日本人との差は歴然としています。単に虫の
数が少ないばかりでなく、人の視覚や聴覚をくすぐる虫がほとんどいな
いものだから、その存在を認識するのは刺されたときだけなのかもし
れません。あるいは話し相手が悪かったのかもしれない。なにしろイワ
ンは、海の漁師ですから。

 (2002年8月)

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