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さくら野文壇 

【第7作目】


 森の銃声

 ロシアの森へ行きました。
 ロシアの森の雰囲気は、「森へ行きましょう、娘さん」の歌みたい。あれはたしかボヘミア民謡だったと思いますが、あのメロディと歌詞がピッタリです。軽やかで明るい。
 山林のそばで育った私は、つい日本の森と比べてしまうのですが、ロシアの森は平地にもありまして、森の中は広々としています。木と木の間が広い。これに比べて日本の森は、木の密度がはるかに濃く、しかもそこは高い木が生えているだけの場所ではありません。勢いよく生い茂った下草が足をとらえ、何よりも邪魔なのが枝を四方八方に伸ばした灌木やつる草の類です。その中に分け入るのは容易なことではありません。向こう見ずな少年たちの秘密の遊び場にはなっても、とても娘さんを誘って行くようなところではない。
 今回私が行ったのは、あくまで「森へ行きましょう、娘さん、アッハ」と口ずさみたくなるような森です。ただし、残念なことに、今回の連れは男ばかり。そこでは歌声の代わりに、銃声が響き渡ることになりました。
 私が森に着くと、イワンやアレクセイたちが待っていました。アレクセイは革ジャンパーと革ブーツに身をかため、鉄砲をぶらさげています。さっそくイワンが水辺に降りて、岩の上に空きビンを並べはじめました。
「イワン、そうじゃない。ビンは頭に載せるのだよ」
 などと物騒なことを言うやつがいます。その空きビンを狙って撃つのです。アレクセイが最初に撃ちました。ビンはイワンの頭の上でなく、もちろん岩の上です。彼は一発でビンを撃ち砕きました。次はイワンの番です。しかしイワンは、何発撃っても当たらない。それではと私が銃を受け取って、二発目で命中させました。一発目は銃のクセを知るための試射のようなものですから、まあ上出来といわねばなりません。イワンはくやしがり、「まぐれではないか」と憎まれ口をたたきました。陸軍大尉の経歴をもつイワンとしては、立つ瀬がなかったのでしょう。彼は再び銃を取り上げて、今度は構えもビシッと決めた上で、真面目くさった顔で銃撃を繰り返しました。何本ものビンが割れ、大尉の面目は保たれたようです。
 そこへ四輪駆動車がおそろしい勢いで走ってきました。舞い上がる土煙の中、降り立ったのは、仲間のサーシャでした。
「何だ、何だ、何が始まったのだ。また中国と戦争をやりだしたのかと思ったぞ」
 私たちの姿を確認すると、彼は嬉しそうにそう叫び、すぐに走り去りました。自分の銃を取りに行ったのです。サーシャはすぐに戻ってきました。肩にはライフル銃、腰には拳銃という勇ましい出で立ちです。私はライフルの現物にお目にかかるのは初めてでした。銃床の感触といい銃身の優雅さといい、銃というものがこれほど美しいとは知りませんでした。人間は鉄砲にまで造形美を求めるようです。
 さっそく私も撃たせてもらいました。しかし今度の標的はおそろしく遠い。空きビンまでの距離は一〇〇メートルほどもあるのではないか。撃ってもなかなか当たりません。射撃時の反動はそんなに強くないのですが、私の右目は視力が弱い。銃床を右肩につけ、右目だけで照準を合わせると、遠くの的はよく見えないのです。しかしサーシャは凄かった。片膝ついて狙いを定め、ズドンと撃つと、遠くでビンが砕けました。彼の射撃はプロ級です。
 このように男たちが森に集い、ライフル銃、猟銃、拳銃などをぶっ放す。男の子の戦争ごっこに似ています。これを大人がやるときは、本物の銃を使う。徴兵制のロシアでは、男たちは皆、軍隊を経験しています。だから銃の扱いには慣れているのです。一方の私は、今でこそ少しは慣れてきましたが、鉄砲など撃ったことがないころは、ロシア人たちにさんざんからかわれたものです。銃を扱えない男というのは、ロシアでは一人前ではないらしい。
 その点、わが社のAさんは、なよやかな日本女性ではありますが、ロシア人たちから一目も二目もおかれています。彼女は自働小銃を自在に使いこなすのです。カラシニコフという自動小銃があります。彼女は、三〇秒もあれば、これをバラバラに分解してしまいます。再度組み立てるのに一分もかからない。かつてAさんは、そのカラシニコフを構えて、森の樹木に身を隠しつつ木から木へと移動したり、雪の上を腹這いで進んだりしていました。本人はこれっぽっちも自慢しないのですが、実弾射撃の腕もすごいらしい。私はAさんには極力逆らわないようにしています。
 女テロリスト・…
 いえいえ、そうではありません。Aさんは普通の市民です。きゃしゃななで肩はいかにも和服が似合いそうで、笑うと少女のように可憐になります。おしゃれだし、料理も得意。そんなAさんが、なんでまたテロリスト顔負けの技能をもつに至ったのかといいますと、彼女の風変わりな経歴のせいです。彼女は、お父上の仕事の関係で、少女時代をモスクワで過ごし、当時のソ連の公立学校にかよっていたのです。ソ連の学校には軍事教練の授業があった。そこでは男の子も女の子も、カラシニコフの分解と組み立ての速さを競い、野外行軍や匍匐前進を学び、もちろん実弾射撃もやった。そしてこの方面で、Aさんは抜群の才能を発揮したのです。
 当時のソ連の仮想敵国は日本を含む西側諸国でした。いってみればソ連は、敵国の子女にも軍事訓練をほどこしたわけですから、ある意味ではおおらかな国だったんですね。ソ連はAさんの軍事能力にビックリし、日本にはこういう傑物がうじゃうじゃいるのではないか、と、おそれおののいたということもあり得る。あのころソ連は、ことあるごとに「軍国主義」といって日本を非難していました。自国のすべての生徒に軍事訓練をほどこす軍国的な政権が、自動小銃の実弾射撃に通じた生徒といえばおそらくAさんしかいない日本に対して、どうしてそんな非難を浴びせたのか、不思議といえば不思議です。やはりAさんの射撃の腕が鮮烈すぎたのではないでしょうか。
 イワンたちと今度あの森に行くときは、Aさんにも行ってもらおうと思います。「森へ行きましょう、娘さん」の雰囲気にも合うし、それにもし相手がまたあのライフルを持ち出してきたら、こっちはAさんにカラシニコフを持ってもらう。今度は負けない。

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