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さくら野文壇 

【第8作目】


女性の日

 バレンタインデーが過ぎました。何もありませんでした。チョコレート屋の販促キャンペーンにやすやす乗せられるような軽率な女性は私のまわりにはいないと見えます。若いころは、食べきれないほどのチョコレートをもらったものですが、今ではみんな賢明になった。私は軽率な人の方が好きですけど。
 聖者バレンタインの名を冠した由緒ある日をチョコレートの日に改変してしまった日本もたいしたものですが、女が関わるこの種の日は、いずこも同じ。由来が何であろうが、ウキウキとうわついた日になってしまいます。毎年三月八日にめぐってくるロシアの「女性の日」もそうです。
 男たちは朝から緊張し、花屋に行ってきれいな花束をあつらえてもらいます。花の数は奇数でなければなりません。偶数の花は葬式のとき。これをおぼえておかないと、外国人といえどもひどいことになります。そうして用意した花束を、恋人に、妻に、愛人に、秘書嬢やオフィスの女性たちに、つまり関わりのある女たちひとりひとりに渡すのです。私もロシアにいるときは、これをやっています。すると、ほっぺにチュッとキスしてくれる。テニスのシャラポワのような一八〇センチもの背丈をもつ女はロシアではめずらしく、ほとんどのロシア女性は、私のほっぺにキスするためには背伸びしなければなりません。そして実際伸び上がって顔を近づけてくるのですが、その風情たるやよし。洋画の一場面みたいです。
 ちょっと浮かれすぎじゃないかと思われるかもしれませんが、調子に乗っているのは私だけではありません。ロシアの男どもも同じです。歯の浮くような言葉を並べて花束を渡します。そしてキスされたり抱きつかれたりして、だらしなく相好をくずすのです。後はデートや宴会へ一直線。
 この「女性の日」、ソ連時代に定められ、国民の祝日扱いです。社会主義政権も味なはからいをしたものだと感心する必要はありません。ソ連は三月八日を特別な日と定めはしたが、それは花束だの酒宴だののためではないのです。三月八日というのは、アメリカの婦人労働者が参政権を求めて起ちあがった日です。ロシア以外では「国際婦人デー」と呼ばれています。しかし、ロシアでは単なる「女性の日」になった。日本でいえば、たとえば「子どもの日」みたいな、あって当たり前という感じの、なんとなく長い伝統がありそうな、まこに自然な祝日になっています。私がソ連に行くようになった二十年ほど前にはすでにそうでした。飲めや歌えのドンチャン騒ぎも、当時からすでにやっていました。「三月八日」の由来を知っているロシア人は、ほとんどいません。女を大切にする日、花束を渡す日、あわよくばいいことがある日、今も昔もそんな感じです。
 ところで、私の学生時代は、学生運動がはなやかで、「国際婦人デー」にデモや集会がおこなわれていました。「三月八日」という日の歴史的事績からいえば、それが由緒正しい作法なのでしょう。だからこぶしを振り上げ、作法にのっとってまじめにやっていた。でも、長くは続かなかったみたいです。日本でも花束やキスということにしておけば、もっと根づいたでしょうに。その点、チョコレート屋はうまくやった。
 さて、私どもの場合、「女性の日」の宴会はオフィスでやることが多いのですが、普通の宴会ならスベトラーナが食事を用意してくれます。しかし「女性の日」にそれをやってもらうわけにはいきません。この日ばかりは男がやります。そこでイワンがボルシチ作りに挑戦しました。ロシア伝統のスープです。イワンはずいぶん手こずっていて、えらく時間がかかっています。どんなものが出来るのやら。普段は、こういう間があいた時間ができると、イリーナがギターを奏でてロマンチックな歌を聞かせてくれます。でも、この日は特別ということで、イリーナに代わって私がギターを引き受けました。こう書けばカッコいいけれど、私のギターはヘタクソです。弾けるのは昔のフォークソングか演歌ぐらい。それも楽譜を見ながらです。演歌の中には「女性の日」にそぐわない歌詞もあるけれど、どうせ意味がわからんだろうと、私は平気で歌いました。いろいろ弾いて歌った中で、女性に一番受けたのは、「シクラメンのかほり」でした。メロディーだけでなく、言葉も美しいと彼女たちは言いました。「真綿色したシクラメンほどすがしいものはない。出逢いいの時の君のようです」と来るこの歌は、たしかに「女性の日」にふさわしい歌詞ですね。日本語を解さないにもかかわらず、それを見抜くとは、女の勘というのはすごいものです。まあ、歌い手の才能とか伎倆とかもあったのでしょう。
 イワンの手料理も出来上がり、これが実に立派なので、私たちはうなってしまいました。さすがにボルシチの味はスベトラーナにはかないませんが、それでもここまでやれればたいしたものです。みんなに感心され、女たちからも褒められて、イワンは「どうだ」と胸を張りました。「女に認められたい。ほめてほしい」イワンの晴れ晴れとした顔は、その一念がかなった満足感であふれていました。男というものの単純さ、けなげさは、どこも同じです。
 陽気な酔いが座に行き渡ると、あちこちのスペースを利用してダンスが始まりました。ちゃんとダンス音楽を用意している者がいるのです。CDラジカセからムード音楽が流れだすと、女性を誘わないわけにはいかなくなる。礼儀正しくダンスを申し込み、手を取って立ち上がってもらい、踊る場所に誘導し、彼女の腰に手を添えて踊り始めるのです。ロシア人はみんなダンスが好きです。それに、うまい。学校教育の中で社交ダンスを身につけてしまうのです。私はダンスを習ったことはないのですが、長年ロシアに行っているうちに、見よう見まねというか、ツラの皮の厚さというか、試行錯誤のうちに実地でおぼえてしまいました。我流ですが、リズムだけは合っていて、相方の女性に迷惑をかけずに何とかしのいでいます。
 一枚の写真があります。フラッシュを浴びてロシア女性と私が並んで写っています。私の腕は彼女の腰に巻きついている。「こ、これは何だ」と日本で騒ぎになったのですが、二人は深い仲ではありません。もちろんセクハラの現場写真でもない。ダンスをしているときカメラを向けられたので、カメラに向かってポーズを決めただけなのです。ダンスの途中だから身を寄せ合っているし、彼女の腰に私の手が行っているのは当たり前です。ウソだと思うなら三月八日にロシアに来てください。

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