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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第2葉(巻8・1500)
 夏の野の 茂みに咲ける ひめ百合ゆりの 知らえぬ恋は 苦しきものそ

 作者は万葉を代表する女流歌人の一人、大伴おおともの坂上さかのうえの郎女いらつめ

 この歌は、意味の上では、「知らえぬ恋」が苦しいと言っているだけです。「知らえぬ恋」とは、知られない恋、つまり相手に通じない恋のこと。しかし、この歌がいかにも和歌なのは、「夏の野の茂みに咲ける姫百合の」という前半の鮮やかさです。青々とした夏草の野に、ポツンとユリが咲いている。ユリという花は、背筋を伸ばして咲きます。でも、このユリは、背筋は伸ばしているけれど、出で立ちが小さくて茂みに隠れてしまっている。そして、花の色は赤。それが姫百合です。「姫百合」という選び抜かれた言葉がポイントです。いかにも恋する女にふさわしい。言葉の響きからしてそうですが、実際の姿も、可憐で気高く美しく、朱色の情熱を宿しています。
 「夏の野の茂みに咲ける姫百合の」と聞けば、これだけのイメージが目の前に広がります。一転、「知らえぬ恋は苦しきものそ」と、つぶやくように歌は終わる。日本人にはそれでわかるのです。哀しいほどよくわかるのです。同じユリでも他のユリじゃダメなんです。白ユリでは無垢にすぎる。鬼ユリではちょっと怖い。「姫ユリの知らえぬ恋」は、風物にわが心を託して歌う日本詩歌の、まさに白眉だと言えるでしょう。

 この歌を現代語に直すと、「夏の山野の、茂みに咲いている姫百合のような、片想いの恋は苦しいものだなあ」。いったいどこが白眉なのかわからなくなる。「夏の野の茂みに咲ける姫百合の」と「の」によって結ばれた言葉の連なりが自然に導き出すイメージの強さ、「知らえぬ恋は苦しきものそ」の口吻に潜むため息、それらが五七五七七のリズムの中で光彩を放っています。それを消し去って意味だけを取り出すと、どうと言うこともない。ありふれた心を述べている。しかし、名歌と呼ばれる歌は、その表現が秀逸なのです。誰もが知っている心を、誰もできないような表現で歌い上げた。それがこの歌です。



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