第7葉(巻11・2578) |
朝寝髪 われは梳らじ 愛しき 君が手枕 ふれてしものを |
朝の乱れ髪を櫛でといたりしません。だって、いとしい人の手枕が触れた黒髪ですもの。
これはまた何とも可愛い歌ですね。乙女のような初々しさです。歌の調べも作者の心もきれいです。でも、よく考えると、朝の黒髪が乱れているのは昨夜の営みのせいです。当時の常として、女のもとに通う男は、なすべきことをなし終えた後、夜明け前に帰りました。朝の乱れ髪は、夜の営みの生々しい痕跡なのです。その痕跡をあっけらかんと愛しむ感性は、官能と純愛が不可分に結びついているからでしょうか。およそ三、四百年後の平安時代中期になると、同じ乱れ髪でも深い陰影をたたえてきます。
黒髪のみだれも知らずうち臥せば まづかきやりし人ぞ恋しき
作者は和泉式部です。愛の交歓と官能的な余韻を衝撃的なまでに堂々と歌い上げていますが、しかし、この歌にはある種の苦悩がある。和歌でこのような表現をなし得る和泉式部という天才と万葉の無名の娘を比較するのは適切ではないかもしれませんが、やはりここには時代の差がある。そのことを認めれば、和泉式部の「黒髪の」が稀代の名歌であるように、「朝寝髪」の歌もまた万葉の珠玉であると言えるでしょう。
ところで「朝寝髪」の読み方ですが、当時は「あさいがみ」と発音したそうです。でも、私たち現代の鑑賞者は「あさねがみ」と読んでかまわないと思います。そのことによって歌の調べが減じたり意味がずれたりするわけではありませんから。
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【古語散策】
朝寝髪 われは梳らじ 愛しき 君が手枕 ふれてしものを
「愛」という漢字は、万葉時代は「愛し」「愛し」「愛し」など、いくつかの読み方があります。その昔、大陸から漢字が入ってきたとき、古代日本人は、文字のない時代から使ってきた「かなし」「うつくし」「うるはし」といった古来の話し言葉を、全部「愛」という漢字に当てはめたのです。
この歌の場合、原文の万葉仮名が「有都久之伎」とでもなっていれば「愛しき」と表記し直して済むのですが、原文表記は「愛」です。「愛」一文字。これではどう読んでよいのかわからない。この「愛」は「愛しき」であろうと解説する学者もいますが、中西博士は「愛しき」とされています。筆者も、その方が作者の心に合うように思えます。その「うつくし」は現代日本語の「美しい」とはニュアンスが異なります。「美しい」という意味合いも含まれてはいるのですが、むしろ「いとしい」に近い。現代人は「いとしい」を漢字で「愛しい」と書きます。やっぱり「愛」の字です。
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