放課後は
さくら野貿易
放課後のページ

さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第8葉(巻11・2497)
 隼人はやひとの 名に夜声よごゑ いちしろく わが名はりつ 妻とたのませ

 隼人の有名な夜声のように、はっきりと私の名は告げました。今後は私のことを妻として頼りにしてください。

 男の求婚に答えた歌です。女に名を尋ねるのが万葉の求婚作法。彼女は名を教えました。「わが名は告りつ」というのがそれです。どのように名乗ったか。それが「隼人の」で始まる前半部分です。隼人とは、今は「はやと」と読みますが、九州南端の薩摩方面に住んでいた人々のこと。当時、彼らは
みやこの夜警をやらされていました。都の人には何を言っているのかよくわからないのですが、とにかく声が勇ましくて大きかった。そういう声を上げながら夜の都を巡回したものだから、都の人々はよく聞いているのです。「隼人の名に負ふ夜声」とは、「隼人の有名なあの夜声」ということ。そのように彼女は名乗ったのです。モジモジした消え入りそうな声ではなく、迷ったような名乗り方でもなく、「いちしろく」(はっきりと)胸を張って名乗った。そして、今後は私のことを妻とたのみなさいませ、と言うのです。
 歌のテンポの小気味よさも、隼人を引き合いに出す心意気も、そして歌意そのものも、誇りにみちた女人を思わせます。きっとまだ若いでしょうに、すでに妻の
矜持きょうじを心得ている。当時は夫婦別居とはいえ、妻は夫の衣服を整えてやるなど、妻としての役割を担っていました。そういうことはすべておまかせなさい、というわけです。彼女に求婚した男は目が高いですね。いい女を選んだものです。怒ると怖そうですが・・・・

【古語散策】

 
隼人はやひとの 名に夜声よごゑ いちしろく わが名はりつ 妻とたのませ

 「わが名は告りつ」とは、いい表現ですね。ピシッと引き締まった言葉の響きがある。これを現代語にすると「私の名は告げました」としか言えないのですが、何というか、気が抜けています。言葉の張りがゆるんでダラ〜となる。意味の上でも「告りつ」のニュアンスが消えてしまう。「告りつ」の「つ」は、「今まさに告げた」とか「確かに告げた」というような、完了や確定の意味を与える助動詞です。有名な辞世の文句「見るべきほどのことは見つ」も同じ。この言い方にこめられた
いさぎよさは、現代語には移せません。

 古典詩歌が短い詩型の中でも多彩かつ微妙な意味合いを的確に表現し得たのは、こういったさまざまな種類の助動詞や助詞が、しかも音数にして一音か二音、せいぜい三音の言葉が存在したからでしょう。その多くが現代語では失われています。そのことが、私たち一般の鑑賞者にとって、古典詩歌を理解する際の障壁になっています。でも、古語とはいえやはり日本語なのですね。何度も接しているうちに少しずつ感じがわかってきますから。



『万葉恋歌』掲載一覧

【これまでのさくら野歌壇】
2007年 2006年 2005年 2004年 2003年 2002年 2001年