放課後は
さくら野貿易
さくら野歌壇
万葉恋歌
中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む
上野亮介
第10葉(巻12・2915)
妹
いも
と言はば
無礼
なめ
し
恐
かしこ
し しかすがに
懸
か
けまく欲しき
言
こと
にあるかも
彼女のことを「
妹
いも
」と呼ぶのは無礼で恐れ多い。そうはいっても、口にして呼びかけてみたい言葉だなあ。
古歌によく登場する「
妹
いも
」という言葉、この歌は、当時この言葉がどういうニュアンスをもっていたかを教えてくれます。
ロシアなどでは、
思いを遂げた
相手に対して呼び方を変えます。肉体関係の有無によって相手を呼ぶときの呼称(二人称代名詞)が変わるのです。「あなた」と言うべきところを「おまえ」とか「あんた」と呼ぶようになる。心から崇拝し憧れてきた女人に対して、
共寝
ともね
をしたからといって急に呼び方を変えるのは、なかなか大変なのではないかと筆者などは常々思っていたのですが、「妹」という言葉も、これに似たところがあったのですね。言いたいけれど言えない。小さな声でちょっと言ってみようか。妹・・・・ あ、言っちゃった。
「私を呼びましたか」
「い、いやっ、なんでもありません。ひ、独り言です」
少年のような恥じらいに、女は「フフフ」と幸福な含み笑いをしたことでしょう。
昔はこれでよかったのですが、現代人の語感からすると、たとえ古典文学専攻の女子大生であっても、恋人から「イモ」と呼ばれて幸せそうに
微笑
ほほえ
む人はいない。愛情と親密さをこめた言葉がなぜそのような運命をたどったのか、残念としか言いようがありません。
『万葉恋歌』掲載一覧
【これまでのさくら野歌壇】
2007年
2006年
2005年
2004年
2003年
2002年
2001年