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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第12葉(巻12・3124)
 雨も降り もふけにけり 今さらに 君行かめやも ひもけな

 雨も降り夜も更けてしまいました。今さらあなたはどうしてお帰りになれましょう。私は紐を解いて用意しましょう。(中西進博士の現代語訳)

 古語の「
く」は現代語の「もうける」につながる言葉で、あらかじめ用意すること。だから「紐解け設けな」は、「紐を解いてあらかじめ用意しますわね」という感じになります。何の用意をするのか。そんなこと聞いたら女に「バカ」って言われますよ。

 この男、今夜は何か用事があったのですが、女のことが恋しくて雨の中をやってきました。でも早く帰らなければならない。女の方は、せっかく来てくれたのにここで帰してはならじ、と思う。神経戦になります。そこでこの歌となるわけです。

 「雨も降ってるし夜も更けたから、もう帰れないんじゃない?」というのは女の独特の理屈です。というのは、「雨も降ってるし夜も更けたから、彼が来られないのも仕方ないわね」とは絶対思わないからです。逆に、そんなものが理由になるものですかと怒る。しかし、いったん男が来てしまえば、雨でも夜更けでも何でも、男が外に出られない正当な理由になるのです。でもそれは、通い婚という仕組みの中、男の訪れを待つしかない女の側の当然の主張だとも言えるでしょう。彼女はその理屈を持ち出した上で、さらに、紐を解いて用意を始めました。これでもう男は、何があっても帰れません。

【古語散策】

 雨も降り 
もふけにけり 今さらに 君行かめやも ひもけな

 「君行かめやも」は形の上では疑問文です。「あなたは帰れるでしょうか」と問いかけています。しかし、言外に「いや、絶対に帰れませんよ」と否定している。疑問を投げかける形をとりつつ断固として否定する。このような表現方法を反語と言います。その反語を表す言葉が「やも」です。「
鳰鳥にほどり葛飾かづしか早稲わせにへすともそのかなしきをに立てめやも」も同じです。外に立たせておけるでしょうか(いや、そんなことは決してできません)という意味。有名な次の歌もそうです。

 
しろかねくがねも玉も何せむに まされる宝 子にかめやも (巻5・803)
 (銀も金も玉も何になろう。子どもより大切な宝があるだろうか)



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