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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第14葉(巻4・608)
 あひおもはぬ 人を思ふは 大寺おほでらの 餓鬼がきしりへに ぬかづくがごと

 自分のことを思ってくれない人に恋するのは、大寺の餓鬼像を拝むようなものだというのです。仏像ではありません。とんまな餓鬼像を拝む。その拝み方も、正面から手を合わせて拝むのではなく、餓鬼の後ろに回ってその尻を拝む。ひたいを地面にこすりつけて拝む。薄情な男に期待するのはそんなものだと。恋する自分をちょっと突き放したときに生まれる自嘲のユーモアがあります。

 作者は
かさの郎女いらつめ。彼女は万葉集を代表する女流歌人の一人ということになっていて、二十九首もの歌が収録されています。いずれも切々とした恋歌です。その中でこの歌は、もっとも彼女らしくない歌なのですが、彼女の非凡な才能が冴えわたっているので取り上げました。この歌を残して彼女は男に見切りをつけます。

 彼女にこんな歌を詠ませた男とは、万葉集の最後を飾る歌人にして万葉集自体の編纂にも携わった
大伴おおともの家持やかもちです。万葉集が収録した彼女の二十九首の恋歌とは、すべて大伴家持に宛てたものなのです。それ以外の歌はまったく残っていません。ということは、大伴家持が万葉集の編纂をしているとき、昔の恋人の私信を探し出し、その歌を載せたことになる。その歌によって笠郎女は第一級の女流歌人になった。しかし、彼女の恋の相手が大伴家持でなかったなら、そして大伴家持が万葉集の編纂に当たらなかったなら、彼女の歌は残らなかったでしょう。日本の詩歌史は笠郎女を失っていたでしょう。あるいはこうも言えます。私たちの知らない歌人がもっといたと。彼や彼女が詠んだ秀歌がもっとあったと。わが国の古代詩歌は測り知れない広さと深さを有していたのだと。



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