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万葉恋歌
中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む
上野亮介
第15葉(巻14・3400)
信濃
しなの
なる
千曲
ちぐま
の川の
細石
さざれし
も 君し踏みてば 玉と
拾
ひろ
はむ
信濃にある
千曲川
ちくまがわ
の小石だって、あなたが踏んだ石なら玉として拾いましょう(中西進博士の現代語訳)。
万葉
東歌
あずまうた
の秀歌としてよく紹介される歌です。千曲川は近代抒情詩や歌謡曲にも登場する川ですから、信濃―千曲川―細石と続く歌の調べが、現代人にも美しく感じられます。千曲川の美しさは、この川の景観だけによるのではなく、日本詩歌の積み重ねのせいでもあるのです。その重なりの最古層にこの歌があります。その川の、その川辺の、どうでもよい小石が、恋する乙女にとっては真珠の輝きを宿しているというのですから、千曲川の面目躍如たるものがあります。この川は、日本文学に登場したそのときから、抒情の川であったわけです。
【古語散策】
信濃
しなの
なる
千曲
ちぐま
の川の
細石
さざれし
も 君し踏みてば玉と
拾
ひろ
はむ
歌の末尾「ひろはむ」(拾いましょう)の終止形は「ひろふ」です。当時の標準語は「ひりふ」。東国訛りの方が現代語の「ひろう」に近いですね。これには理由がありますが、今は措いて、この歌には、もう一箇所、方言めいた部分があります。「さざれいし」(細石)を「さざれし」と発音していること。 sazareishi と母音が二つ連続しているところを、 sazareshi と母音一個ですませています。昔から日本人は母音の連続が苦手で、意識して口を動かさないと上手に発音できません。その意識が東日本では西より薄かったようです。今もその傾向があって、連続母音の正確な発音に難が生じやすい。「こわい」(kowai)が「こえー」、「おまえ」(omae)が「おめー」、「ひどい」(hidoi)が「ひでー」という風な、独特の関東訛りがあります。「さざれし」も、日常の発音は「さざれーし」だったような気がします。連続母音をすっ飛ばして長音化するこの傾向が千数百年前にすでにあったというのがおもしろい。
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