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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第18葉(巻2・87)

 ありつつも 君をば待たむ うちなびく わが黒髪に 霜のおくまで

 このままここにいてあなたを待ちましょう。うちなびくわが黒髪に霜が置くまで。

 美しい歌です。詠んだ人も美しかったにちがいありません。万葉の女人は自身の美しさをすなおに表現します。何のてらいもなく「うちなびくわが黒髪」と歌い上げる。実際この人が戸外に立てば、つややかで若々しい漆黒の髪が風になびいたのでしょう。黒髪をなびかせて夫を待つけなげな女人は、
仁徳にんとく 天皇の后、磐姫いわのひめです。古事記のせいで磐姫という名は嫉妬深い女の代名詞になりました。しかし、これは磐姫が悪いのではなく、夫の方に問題がある。仁徳天皇は聖帝と呼ばれた偉い統治者ですが、英雄色を好む。きれいな女を見かけるとすぐ手を出す。磐姫が心穏やかでないのは当たり前です。古事記によれば、夫の浮気の噂を聞くたびに足をバタバタさせて嫉妬なさったらしい。でも、それは、彼女が夫を心から愛していたからです。そのことは、この歌からもわかります。「ありつつも君をば待たむ」は、「こうやって戸外に立ち続けてあなたを待ちましょう」という意味にもとれるし、「生きてあなたを待ちましょう」と解釈することもできます。いつまで待つのか。「わが黒髪に霜の置くまで」です。いつまでもいつまでも待つのです。不倫に走りがちな夫をこうまでして待つ。泣けてきますね。しかし、磐姫は待つだけの女ではありません。天皇が若い美女に首ったけになったときは、さすがに彼女は激怒しました。「もうやめた」とばかり故郷に旅立つのです。天皇は慌てふためきました。なんとか彼女に戻ってもらおうと、もう必死。和歌には詠んだ人の人柄がにじみ出ます。この歌からも、誇り高い女人の息吹が垣間見えるではありませんか。


【古語散策】

 ありつつも君をば待たむ うちなびく わが黒髪に霜のおくまで

 「ありつつも」が「居続けて」とも「生き続けて」とも解釈できるのは、「あり」という言葉に「いる」と「生きる」の両方の意味があるからです。

 伊勢物語の決まり文句「むかし、男ありけり」を現代語に直訳すると「むかし、男がありました」。現代は人間や動物は「いる」と表現し、石などの物体は「ある」と言いますが、昔は人も物も「あり」を使ったのです。ですから「ありつつも」は、「(黒髪をなびかせたままで)居続けて」という意味になるわけです。

 「あり」を「生きる」と解釈すると、生き続けて待つというのですから、「わが黒髪に霜のおくまで」の意味合いが変わってきます。老いて白髪になるまで待つ、という感じになる。壮絶な歌になります。歌そのものはどちらとも取れるのですが、磐姫の人柄を考えれば、やはり「居続けて」でしょうね。

 「あり」を「生きる」の意味で使った歌を伊勢物語から一首挙げておきます。

 
にしはば いざことはん都鳥みやこどり 我が思ふ人はありやなしやと
(その名の通り都のことに通じているなら、都鳥よ、ぜひ聞きたい、私の愛するあの人は、生きているのか死んだのか)



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