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万葉恋歌
中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む
上野亮介
第20葉(巻11・2642)
燈
ともしび
の 影にかがよふ うつせみの
妹
いも
が
笑
ゑ
まひし
面影
おもかげ
に見ゆ
燈
ともしび
の光に明滅する
現身
うつせみ
の妻の笑顔が面影に見える、と、現代語の散文に直すと、この歌の命が薄れます。歌そのままで味わってください。なんともいえぬ印象的な歌なのです。言葉の揺らめきとともに、作者の心も、妻の幻影も、ゆらゆらと揺れている。「燈の影」とは、暗い部分を指すのではありません。「月影」のごとく、明るい光を「影」とも言う。この歌の「燈の影」は、燈火によって揺れ動く光と影の両方のありさまを言っています。そこに「かがよふ」(輝いて明滅する)のは、妻の笑顔です。「うつせみの」は、漢字で書けば「現身の」。これを「現実の」と解すると、現実の妻が面影に見える。まるで光と影が交叉するような表現です。「
生身
なまみ
の」という意味合いに取って、このとき見えた妻は裸身であったのではないかと想像する人もいます。
【古語散策】
燈
ともしび
の 影にかがよふ うつせみの
妹
いも
が
笑
ゑ
まひし
面影
おもかげ
に見ゆ
「見ゆ」は、意識しないでも自然に見えてくること。この表現は、日露戦争における日本海海戦の開始を告げる電報でも使われています。「敵艦見ゆとの警報に接し連合艦隊は直ちに出動、これを撃滅せんとす」と。「敵艦発見」「敵艦見たり」等々表現の仕方はいろいろあったはずですが、「敵艦が眼前に見える」という切迫した状況を「敵艦見ゆ」と簡潔かつ的確に報告したわけです。
似たような動詞に「
聞
きこ
ゆ」があります。これは、聞こえてくること。同様に「
思
おも
ほゆ」は、自然に思ってしまうこと。いずれも人間の感覚に関する動詞ですが、「ゆ」がつく動詞には無意識に感覚が作動する意味合いがあるようです。
以下は「見ゆ」「聞ゆ」「思ほゆ」の例です。
天
あめ
の海に 雲の波立ち 月の船 星の林に
漕
こ
ぎ隠る見ゆ (巻7・1068)
(天の海に雲の波が立ち、月の船が星の林に漕ぎ隠れて行くのが見える)
海少女
あまをとめ
棚
たな
無し
小舟
をぶね
漕
こ
ぎ
出
づ
らし 旅のやどりに
梶
かじ
の
音
おと
聞ゆ (巻6・930)
(漁師の娘が棚無し小舟で漕ぎ出ているらしい。旅の宿で梶の音が聞こえるよ)
淡海
あふみ
の
海
うみ
夕波千鳥
ゆふなみちどり
汝
な
が鳴けば
情
こころ
もしのに
古
いにしへ
思ほゆ (巻3・266)
(琵琶湖の夕波千鳥よ、おまえが鳴けば、心もしおれて近江旧都の昔が思われる)
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