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万葉恋歌
中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む
上野亮介
第21葉(巻3・453)
吾妹子
わぎもこ
が
植
う
ゑし梅の
樹
き
見るごとに こころ
咽
む
せつつ 涙し流る
妻が植えた梅の木を見るたびに、こころ咽せつつ涙が流れる。
この歌の作者
大伴
おおともの
旅人
たびと
は、
太宰府
だざいふ
の長官として九州に赴任中、その地で妻を
喪
うしな
いました。このとき彼は六十四歳ですが、妻は相当若かったらしい。万葉集には、悲嘆にくれる彼の歌が何首も収録されています。これは、その中のひとつ。
都
みやこ
に帰ったときの歌です。
彼女が庭に植えた梅の木が花を咲かせはじめたのでしょう。花は咲いても彼女はいない。そのとき体の奥からこみあげてくるものがあった。それは形にならない感情なのですが、歌人の中で濾過され、和歌となって溢れ出た。歌をそのまま読めば、作者の心境が痛いほどわかります。何の技法も修辞もなく、
慟哭
どうこく
する作者のありさまだけが歌われていますから。そして、その年の秋、彼は妻のもとへ旅立つかのように世を去るのです。
大伴旅人の一連の歌から思うのは、彼は妻と一緒に暮らしていたようです。都では同じ家に住み、太宰府にも連れて行った。当時は通い婚が普通であったと言われていますが、世の中が一律にそうなっていたわけではないらしい。彼のような上流貴族は、自宅に妻を置くことがあったのでしょうか。それとも六十代の彼は、夜な夜な妻のもとに通うのがおっくうであったか。あるいは若い妻のもとに他の男が忍び寄るのが心配であったのかもしれません。でも、これほど愛されていたのですから、彼女は喜んで同居に同意したのでしょう。
【古語散策】
吾妹子
わぎもこ
が
植
う
ゑし梅の
樹
き
見るごとに こころ
咽
む
せつつ 涙し流る
「涙
し
流る」の「し」は、「涙」を強調する助詞です。さまざまな品詞の後につきますが、たとえば名詞などの後に「し」がついていたら、たいていこれです。前節の歌「
燈
ともしび
の影にかがよふうつせみの
妹
いも
が
笑
ゑ
まひ
し
面影
おもかげ
に見ゆ」でも使われていました。単に強調の意味だけでなく、語調を整える役割もあるので、古典和歌には頻繁に登場します。
葦辺
あしへ
行く
鴨
かも
の
羽
は
がひに
霜
しも
降
ふ
りて 寒き
夕
ゆふ
べは
大和
やまと
し
思
おも
ほゆ (巻1・64)
(葦辺行く鴨の羽交いに霜が降り、寒い夕べは故郷の大和が恋しくなる)
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