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さくら野歌壇
万葉恋歌
中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む
上野亮介
第22葉(巻12・2893)
朝
あした
去
ゆ
きて
夕
ゆふべ
は来ます 君ゆゑに ゆゆしくも
吾
あ
は 嘆きつるかも
朝方に去り夕方にいらっしゃるあなたゆえに、並大抵でなく私は嘆いてしまう。
恋人の訪れを言い表すとき、自分のもとに彼が夕方来て、朝方に帰っていく、と表現するのが普通です。ところが、この歌は、朝になって帰ってしまう彼が夕方やってくる、という言い方をしています。妙な言い回しですが、彼女の気分としては、これでよいのです。朝から夕までの彼の不在が悲しいのですから。
彼女の恋人は、彼女のもとに連日
通
かよ
ってきているようです。世間的に見れば、彼女は幸せな境遇です。しかし、それでも満たされない。大好きな彼と一日中一緒にいたいのです。
愛する人と一緒に住みたいという気分は男の方にもあったようで、次のような歌も残されています。
如何
いか
ならむ日の時にかも
吾妹子
わぎもこ
が
裳引
もびき
の姿
朝
あさ
に
日
け
に見む (巻12・2897)
(いつの日にか、彼女が裳裾を引いて歩く姿を、朝も昼も見ることができるだろうか)
当時の夫婦別居の婚姻形態は、これらの歌が示すように、愛し合う二人にとっては、切ないことでもあったようです。夫婦が同じ家で暮らすこと自体に問題はないのですが、しかし、問題はどちら側の家に住むかです。妻の家か。夫の家か。歴史的には、夫が妻の家に居ついて暮らすようになります。その後、武家社会になると、妻が夫の家に入るようになります。そして現在と将来は、悩ましい未解決の問題と言うべきか。
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