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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第23葉(巻11・2683)

 彼方をちかたの 赤土はにふ小屋をやに 小雨こさめ降り とこさへ濡れぬ 身に吾妹わぎも

 里から遠い粗末な小屋に小雨が降り、寝床まで濡れてしまった。もっと私に身を寄せなさい、いとしい人よ。

 「
赤土はにふ」とは、字義の通り、赤土あかつちのことです。「埴生はにふ」とも書きます。唱歌「埴生はにゅうの宿」の「埴生」です。「埴生の宿」は、土を塗った粗末な家のこと。唱歌では自分の家を卑下してそう呼んでいますが、この歌の「埴生の小屋」は名実ともにみすぼらしい。屋根は簡単なわらきでしょうか、小雨程度で中まで濡れる。それが「彼方をちかた」(遠い彼方かなた)にあるのは、その辺りに農地があったからでしょう。そこは人里からは遠いので、農作業のときだけ臨時で起居する小屋です。普段は使いません。この歌の二人は、無人のその小屋で逢い引きをしたのです。そういう事情を連想しながら、もう一度、この歌を味わってください。

 
彼方をちかたの 赤土はにふ小屋をやに 小雨こさめ降り とこさへ濡れぬ 身に吾妹わぎも

 すごくいい歌でしょう。情感があふれています。歌は二人がいる場所の描写から始まり、彼方の田園―埴生の小屋―小雨―寝床と、まるでズームインされるように場面が切り替わっていき、最後に「身に吾妹わぎも」と男の肉声が聞こえる。静かな調べの、愛の歌です。



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