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万葉恋歌
中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む
上野亮介
第26葉(巻12・3063)
浅茅原
あさぢはら
小野
をの
に
標
しめ
結
ゆ
ふ
空言
むなこと
も
逢
あ
はむと
聞
き
こせ 恋の
慰
なぐさ
に
ウソでもよいから「逢おう」とおっしゃってください。かなわぬ恋の慰めに。
「浅茅原」というのは、雑草生い茂る野原のことです。「小野に標結ふ」は、その野原が大切な場所であることを示す標識をつけること。くだらない荒れ野に、苦労して標識を張りめぐらせることなどあり得ません。「浅茅原小野に標結ふ」は、ありそうもないことの比喩なのです。そんな空言でもよいから、逢おうとおっしゃってください、と女は言う。たとえ嘘でも恋の慰めになるからと。わかりやすく言えば、「ウソでもいいから好きだと言って」。
しかしながら、ウソで「好きです」とはなかなか言えないものです。この女の相手は「ではお逢いしましょう。ウソだけど」とうそぶくような男ではありません。相手が誠実でなければ、女はこういう言い方はしない。ただ、どうも煮え切らない男のようです。好きなのか好きでないのかよくわからない。女の恋心はつのるばかり。その心情が歌になりました。和歌というのはすごいもので、「ウソでもいいから好きだと言って」が、
浅茅原
あさぢはら
小野
をの
に
標
しめ
結
ゆ
ふ
空言
むなこと
も
逢
あ
はむと
聞
き
こせ 恋の
慰
なぐさ
に
になってしまう。同じ趣旨でも情感がまるでちがいますね。詩歌の詩歌たるゆえんです。
彼女が「浅茅原」を持ち出したのは、「あなたにとって私は雑草のようなものでしょうけど」と、自分を卑下しているようにも聞こえます。「聞こせ」(おっしゃってください)と敬語も使っています。相手が身分の高い男であったのかもしれません。あるいはそうでもなくて、たしなみ深い女の、しかも恋心に負けた女の、へりくだった表現なのか。いずれにせよ、そのあたりの表現が、この歌をより情趣深いものにしています。
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