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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第27葉(巻11・2572)

 いつはりも 似つきてそる 何時いつよりか 見ぬ人恋ひに 人のしにする

 偽りならもっと真実に似たことを言いなさい。見たこともない人に恋して死ぬなんてことがありますか。いつからそんな人がいるのですか。

 前節の女は「ウソでもいいから好きだと言って」と男に迫りました。今回の女は「ウソなら少しはまともなウソをつきなさい」と男を叱っています。ウソをついてもつかなくても、男はつらい。

 男が「あなたに恋して死にそうだ」と女に言い寄ってきたのでしょうね。それは男の本心かもしれません。でも、女の反応は手厳しい。とりつく島もない。
 「見ぬ人恋ひ」とはおもしろい表現です。この人の造語でしょうか。見たこともない人に恋すること。でも彼女が気づかなかっただけで、男はどこかで彼女を見たのかもしれません。そういう恋はざらにあります。女だってそんなことは知っている。それでもこんな歌で応じたのは、彼女はこの男に関心がなかったのでしょう。無情です。あまりに冷たい。男がかわいそうになります。

 と、一方的に考えてはなりません。ひょっとして、この男、評判が芳しくなかったのかもしれない。誰にでも調子よく声をかける軽薄なタイプであったとも考えられます。女が無慈悲なのか、男が悪いのか、いずれとも判じがたい。
 あるいは別の解釈も成り立ちます。男のアプローチを最初は拒否するのが女の智慧。ピシャッとはねつけて男の真情を瀬踏みしているのかもしれない。今も昔も男にはそのへんがよくわからないから困る。


【古語散策】

 
いつはりも似つきてそる 何時いつよりか 見ぬ人恋ひに人のしにする

 この歌は二つの文から成っています。「偽りも似つきてそする」と「何時よりか見ぬ人恋ひに人の死する」です。一番目は強調文。二番目は疑問文。二つとも「係り結びの法則」が使われています。古文の授業の定番でした。「ぞ、なむ、や、か、こそ」と暗記させられたものです。これらの強調語や疑問語が文中にあると、文章が妙な形で終わります。文末が本来の終止形にならない。そこに違和感が生じる。その違和感が、強調や疑問といった特別な意味を引き出しています。この歌の場合、二つの文の本来の終わり方は「偽りも似つきてす」「見ぬ人恋ひに人の死す」です。そこに強調の「そ」(「ぞ」も同じ)、疑問の「か」が入ったから、終止形の「す」でなく連体形の「する」で終わっている。でも、現代語では終止形も連体形も「する」です。だから「係り結び」に気づきにくい。文末の違和感がなくなります。「係り結びの法則」が日本語から消えたのは、「する」に限らず動詞が全部、終止形も連体形も同じ形になったからだと言われています。「こそ」だけは長く生き延びました。「こそ」は連体形でなく已然形を伴っていたからです。ちなみに一番目の強調文で「そ」の代わりに「こそ」を使えば、「偽りも似つきてこそすれ」。歌のリズムが崩れますが、意味は同じです。



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