第29葉(巻2・92)
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秋山の 樹の下隠り 逝く水の われこそ益さめ 御思よりは |
秋山の樹の下を隠れ行く水のように、私の思いの方が深いことでしょう。私のことを思ってくださる御心よりも。
作者は鏡王女。天智天皇が深い思いを彼女に伝えたとき、それに答えた歌。
人間の内面を言葉で説明するのはむずかしいものです。「恋しい」とか「好きです」「お慕いしています」とでも言えば、それはそれで恋心を伝えたことになりはしますが、自分の思いがどのようなものであるかまでは伝わらない。ところが、「秋山の樹の下隠り逝く水の」という表現で、隠れ行く水のような彼女の控えめな人柄が、清冽な山水のような彼女の内面の清らかさが、さらに言えば、紅葉に彩られた秋山のような彼女の美しさまでもが、全部言い尽くされています。恋心を水に喩えた上で、「われこそ益さめ御思よりは」。彼女の内なる水、「秋山の樹の下隠り逝く水」が、どんどん水量を増すイメージの中で、「私の思いの方こそが、あなたが私を思ってくださるよりも、ずっとずっと深いでしょう」と、きわめて印象的に語られます。自分の内面を説明するに当たって、どんな概念語を駆使しても、これほど鮮やかにはいきません。どれほど長々と言葉を連ねても、人を感動させることはできません。鏡王女という人は、山と木と水の光景を描くだけで、しかもたった三十一文字の韻律詩の形で、完璧に自分の心を伝えたのです。そして、その心は、天智天皇だけでなく、千数百年後の私たちにも伝わります。
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【古語散策】
秋山の 樹の下隠り 逝く水の われこそ益さめ 御思よりは
「われこそ益さめ」は強調の「係り結び」です。強調語「こそ」が入っているから、文末が已然形の「益さ・め」になっている。終止形は「益さ・む」。程度が大きいことを意味する「益す」に、推量の助動詞「む」が付いたもの。「私の思いの方こそが」と強調しながらも、「もっと深い」と断言せずに「もっと深いことでしょう」と推量でとどめたところに、作者の奥ゆかしさが感じられます。「われこそ益さめ」という表現は、強い言葉遣いの中に謙虚さをも忍ばせているのです。その態度は「御思」という敬語にも現れています。相手が天皇だからということもあるにせよ、この歌からは鏡王女の人柄が匂い立っています。
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