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万葉恋歌
中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む
上野亮介
第33葉(巻11・2663)
ちはやぶる 神の
斎
い
垣
かき
も 越えぬべし 今はわが名は
惜
を
しけくも無し
おそろしい神域の垣根といえども越えてしまおう。こうなった今は私の名など惜しいこともない。(中西進博士訳)
「名こそ惜しけれ」という言葉があります。源平の武者たちが好んで口にした文句です。名を惜しむ。名を大切にする。自分の名には名誉と誇りが刻まれている。名誉を重んじる武士の気概を言い表しています。
この「名こそ惜しけれ」という言葉、その源流は、実は古代の女言葉です。万葉の時代、彼女たちがこの言葉をしきりに使っているのです。彼女たちは自分の浮き名が流れることを非常に怖れました。恋は秘め事であって、いやしくも自分の名が噂話になって他人の口の端にのぼってはならないのです。かの
鏡
かがみの
女王
おおきみ
も「あなたの名はよいとして私の名は惜しい」と、二人の関係が人に知られるのを拒否しています。
自分の名を惜しむというこの強烈な精神を知らなければ、この歌の真意は汲み取れません。この歌の作者(女)は「今はわが名は惜しけくも無し」と言い切っています。浮き名なんか立ってもよい、ゴシップもスキャンダルも怖れはしないと。それどころか、越えてはならぬ「神の斎垣も越えぬべし」と言い放つのです。神も怖れず、名誉も捨てる。ひたむきな恋もここまでくると、退路を断ったときの達観と言いますか、ある種の爽快さがあります。
【古語散策】
ちはやぶる神の
斎
い
垣
かき
も越えぬべし 今はわが名は
惜
を
しけくも無し
「ちはやぶる」は「神」を形容する
枕詞
まくらことば
です。かつては「神」のイメージを具体的に宿す言葉であったのでしょうが、今では言葉の由来がよくわからなくなっています。同じように万葉集に頻出する「あしひきの山」「ぬばたまの黒髪」「たらちねの母」などの枕詞も、あるいは「あをによし奈良」や「そらみつ
大和
やまと
」にしても、その言葉の記憶は遠い彼方にあって、正確な意味となると、諸説はあれど、今となっては不明です。よくわからないけれども、下に続く言葉とひとまとまりで、そのまま鑑賞するしかありません。そうしているうちに、何やらわかったような気になりますよ。
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