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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第34葉(巻11・2667)

 真袖まそでもち とこうち払ひ 君待つと りしあひだに 月かたぶきぬ

 袖で寝床をうち払い、あなたを待っている間に、月が西の夜空に移ってしまいました。

 女は男の訪れを待っています。その待ち方が
可愛かわいくもありなまめかしくもある。衣服の袖で寝床を払って整えているのです。きれいな寝床に彼を迎えるために。現代風に言えば、布団を敷き、シーツを伸ばし、ホコリを払う。ホコリなんかなくても、きれいに払う。そうやって待っているのですが、いつまでたっても男は来ない。東から昇った月が、そのうち西の山の端に近づいてしまった。待っているときの期待感と来なかったときの落胆を詠んだ女歌は多いのですが、この歌のいいところは「真袖もち床うち払ひ君待つと」という表現です。待っているときの動作が詠み込まれています。彼が来なかったことも「居りし間に月かたぶきぬ」と、月の動きで言い表している。月が西に傾くことで時間の経過を表現する技法は後に誰もが使うようになって陳腐化しますが、この歌が詠まれたころは新鮮な響きがあったことでしょう。

 同様の状況で詠まれた歌が百人一首にあります。

 やすらはで
なましものを 小夜さよけて かたぶくまでの月を見しかな
(迷わないで寝てしまえばよかったものを、夜が更けて傾くまでの月を見たものよ)

 平安時代の女流歌人、
赤染衛門あかぞめえもんの作。これも秀歌とされています。袖で床を払って待った万葉の女人と、寝てしまおうかと躊躇ためらいながら待った平安の女人。自身の体の動きを詠んだ人と、自身の心の動きを詠んだ人。どこか可愛い娘心と、洗練された閨怨けいえん。どちらを取るかは人それぞれです。



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