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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第35葉(巻13・3277)

 ずに わが思ふ君は 何処いづくに 今夜こよひたれとか 待てどまさぬ

 寝ようともせずに私が思っているあなたは、どのあたりで今夜は誰と寝ているのだろうか。待っていてもいらっしゃらない。(中西進博士訳)

 前節の歌は、男が来ない情景を詠んでいるだけで、来ない理由は詮索していません。落胆はあっても不信はない。しかし、この歌は、他の女のところに行っているのではないかと疑っています。彼女は胸にチクリと刺さる疑惑に自分でうろたえています。その表現はあくまで上品です。男のことを「わが思ふ君」と呼び、「来まさぬ」(いらっしゃらない)と敬語を使い、「
何処いづくに」(どこで?)「たれとか」(誰と?)と省略表現に終始しています。「誰と寝てるの?」「誰と一緒なの?」などと露骨な言い方はしない。作者の人柄がわかりますね。中西博士の現代語訳では「誰と寝ているのだろうか」と、彼女が省略した言葉をおぎなってあります。

 同じ嫉妬でも、次の男の歌などは、表現が明快です。

 
しるしなき恋をもするか ゆふされば 人の手まきてらむゆゑに(巻11・2599)
(恋しても仕方ない恋をするよ。夜になると他の男の手を枕に寝ているだろうあの子のために)(中西博士訳)

 この現代語訳に訳者の補足はありません。原歌の通りです。作者の脳裏に浮かぶ妄想の光景が、そのまま原歌の中で描写されています。これはこれで万葉らしいと言えば言えるのですが、作者が男だからということもあろうし、作者の人柄にもよるのでしょう。



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