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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第39葉(巻1・13)

 香具山かぐやまは 畝火うねびしと
 
耳梨みみなしと あひあらそひき
 
神代かみよより かくにあるらし
 
古昔いにしへも しかにあれこそ
 うつせみも 
つまをあらそふらしき

 香具山かぐやまは、畝傍山うねびやまいとしくて、恋仇こいがたき耳成山みみなしやまと争った。神代よりそうであったらしい。昔もそうなのだから、現実でも妻をめぐって争うのだろう。

 これは長歌ちょうかです。五七・五七・五七・五七と続いていって最後に五七七で終わるのが長歌の定型と言われていますが、この歌の最後は定型になっていません。定型が定着する前の、古い歌にその例が多い。作者が天衣無縫であるときも定型を気にかけない。
 作者は
中大兄なかのおおえの皇子みこ(後の天智てんじ天皇)。この人がこんな歌を詠むと、どうしても額田ぬかたのおおきみをめぐる大海人おおあまの皇子みこ(後の天武てんむ天皇)とのいさかいを連想してしまいます。そんな気分でこの歌を鑑賞してみましょう。

 
飛鳥あすかには、いわゆる大和三山があります。香具山、畝傍山、耳成山。いずれも標高二百メートルに満たない山ですが、盆地の中でそこだけニョキッと隆起しているので、よく目立ちます。飛鳥時代の人々には、もっとも馴染み深い山です。その三山が争った伝説があったらしい。香具山と耳成山が男で、女の畝傍山をめぐってモメたのです。昔もそうなのだから今もそうなのだ、と言うのですから、作者は実際に一人の女をめぐって他の男と争ったと思われます。大化改新たいかのかいしんを断行し、皇太子時代から国家を指揮した天下の権力者が、いったい誰と恋争いをしたというのか。そんな人物は実弟の大海人皇子以外に考えられません。そして、この二人の皇子を、古代史に輝く二つの巨星を、恋のとりこにした女人といえば、額田ただひとり。

 それにしても、この歌、ゆったりした歌いぶりですね。歌の調べが大柄です。妻争いを主題にしながら、余裕のようなものが感じられます。そこはかとないユーモアさえ漂っています。中大兄皇子の性格でしょうか。前節の大海人皇子の歌「
紫草むらさきのにほへるいもを憎くあらば人妻ゆゑにわれ恋ひめやも」の直情的な歌調とは対照的です。兄弟でも人柄がずいぶんちがったようです。額田王は、どちらに心惹かれたのでしょう。彼女がよりいっそうの魅力を感じたのは、どちらの皇子であったのでしょう。


【古語散策】

 香具山かぐやまは 畝火うねびしと 耳梨みみなしと あひあらそひき・・・・

 この歌の解釈には諸説あります。「」と万葉仮名で表記された部分が特に問題になります。普通は「畝火うねびしと」又は「畝火をしと」と解しますが、漢字の雰囲気からして「畝火雄々ををしと」とも解釈できるからです。中西進博士はこちらの方の見方をされています。その場合は、香具山は男でなく女、畝傍山は女でなく男、ということになります。女の香具山が、男の畝傍山のことを雄々しいと思って耳成山と争った。で、その耳成山は、香具山の恋仇の女なのかもしれない。あるいは香具山にソデにされた男だとも考えられます。どの山が男でどの山が女なのかよくわからなくなる。それぞれの山の性別の組み合わせの数だけ別の解釈が成り立つわけです。

 こういう次第で議論は尽きないのですが、まったく別の角度から謎にアプローチすることもできます。その手がかりは、万葉集の中でもきわめて名高い次の歌が、この歌とセットになって並んでいることです。

 わたつみの 豊旗雲とよはたぐもに入り日し 今夜こよひ月夜つくよ さやけかりこそ (巻1・15)

 中西博士の現代語訳は「海上豊かになびく雲に落日が輝き、今夜の月は清らかであってほしい」。
 これも中大兄皇子の作ということになっていますが、うますぎる。胸に迫るこの歌調、この声調、この言葉遣いは、額田王特有のものである。彼女が皇子に頼まれて作った代作にちがいない。そう考える人がいるのです。この見方に立てば、皇子が大和三山の歌を詠んだとき、その傍らに額田王がいたことになる。そんな情景を空想すると、皇子が妻争いの勝利者として「香具山は」と詠んだ気分もわからないではありません。



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