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万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第40葉(巻2・107 - 108)

 あしひきの 山のしづくに いもまつと われ立ちぬれぬ 山のしづくに
 
を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを

 大津おおつの皇子みこ石川いしかわの郎女いらつめがか交わした歌です。
 女は家で待ち、男がそこへ
かよう、というのが当時の逢瀬の標準的な姿ですが、二人は山中で逢う約束をしたようです。行動的ですね。しかし雨でした。アウトドア派はこういうときつらい。

 あしひきの 山のしづくに 
いもまつと われ立ちぬれぬ 山のしづくに
(あしひきの山の滴にあなたを待つと、私は立ち濡れてしまった、山の滴に)

 「あしひきの」は「山」に掛かる枕詞です。意味は不明なのですが、「あしひきの山」と口に出してみると、何となく心地よく響きます。すわりがよくて、意味ありげで。現代の鑑賞者はその程度で満足するしかありません。

 さて、そのうち雨もやんだのでしょう。「山のしづく」という言葉でそれがわかります。雨はあがったけれど、木々の葉から水滴が落ちているのです。その「山のしづく」に濡れながら皇子は待ち続けるのですが、女は結局来なかった。皇子の歌は「山のしづく」「山のしづく」と繰り返しています。歌のリズムから水滴の音が聞こえるようです。よほど「山のしづく」がこたえたと見えます。

 待ちぼうけの恨み漂う皇子の歌を受け取った女は、謝るそぶりも見せず、行かなかった理由も述べず、

 
を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを
(私を待ってあなたが濡れたという“山のしづく”になりたかったわ)

 いや、これはすごい。二つの歌を並べてみてください。彼女の歌が皇子への見事な唱和になっていることに驚くでしょう。やわらかなつるがからみつくように、女歌が男歌に寄り添っている。「山のしづく」の歌に対して「山のしづく」で返した歌才もさることながら、よほど恋の応酬に
けていなければこんな歌は詠めません。こんな返歌をもらった皇子は、恨みも忘れ、悪い気はしなかったでしょうね。

 この大津皇子は、異母兄である
草壁くさかべの皇子みことの皇位継承争いに巻き込まれて処刑された悲劇の人です。一方の石川郎女は、中西進博士の脚注によれば、意外にも実は、「草壁の愛人で、謀殺に一役かったと思われる」とのこと。もしそうなら、「山のしづく」の光景は、大津皇子の恋心はその通りであったにしても、石川郎女には隠された意図があったことになります。二人の逢瀬の意味合いが変わってくるのです。彼女が自ら進んで大津皇子抹殺に関与したかどうか真相は不明なのですが、中西博士の脚注は、独自の説も交えつつ、史実の簡潔な記述もあって、歴史の探検へといざなってくれます。
 石川郎女が草壁皇子の愛人であったとしても、彼女が本当に愛したのは大津皇子であったかもしれませんよ。大津皇子との唱和が、彼女の歌の甘い響きが、そんな幻想をふくらませてくれます。しかも、こんなに歌才あふれる石川郎女が、万葉集の中では、ひとつの恋歌も草壁皇子には贈っていないのですから。


【古語散策】

 
を待つと 君が濡れけむ あしひきの 山のしづくに ならましものを

 「濡れけむ」の「けむ」は、過去の出来事を想像するときに使います。皇子が「山のしづく」に濡れたのは今より前のことであって、しかも彼女はそれを見ていないのですから、「あなたが濡れたであろう山のしずく」と、過去を推量する表現を使ったわけです。
 かつて日本語は、過去・現在・未来の区別が案外やかましかった。何かを想像するときも、それがいつのことかによって言い方が変わりました。過去のことは「けむ」、現在のことは「らむ」、未来のことは「む」、ありそうもないことの妄想なら「まし」です。「聞きけむ」(聞いたらしい)「聞くらむ」(聞いているらしい)、「聞かむ」(聞くであろう)、「聞かまし」(聞いてみたいものだ)という風に、当時の人はきちんと使い分けていました。学校で文法の授業を受けたわけでもないのに、えらいですね。



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