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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第41葉(巻15・3724)

 君がく 道のながてを たたね 焼きほろぼさむ あめの火もがも

 道を細長い布のようなものだと想像してみましょう。その道を手繰たぐり寄せ、折り畳んで焼き尽くす天の火がほしい、と言うのです。その道とは「君が行く道」です。恋人が遠くへ行ってしまう道なのです。「繰り畳ね」「焼き亡ぼさむ」「天の火」何という激しい言葉の連なりでしょう。これだけの激情を三十一文字に込めた歌はめずらしい。この激しさには理由があります。彼女の恋人は流刑に処せられたのです。それも彼女との恋ゆえに。

 歌の作者は
狭野さのの茅上ちがみの娘子をとめ。恋人は中臣なかとみの宅守やかもり。この歌が生まれた背景を万葉集は次のように解説しています。

 中臣
朝臣あそん宅守、蔵部くらべの女嬬にょじゅ狭野茅上娘子をめとりし時、みことのりして流罪るざいに断じ、越前国にながしき。ここに夫婦の別れやすく会ひがたきを相嘆あひなげき、各々いたこころべて贈答せる歌六十三首。

 二人が結ばれたことがどうして罪になったのかは諸説ありますが、いずれにせよ許されぬ恋であったらしい。ただし、男だけが罰せられ、女の側は罪に問われなかったようです。彼女が焼き滅ぼしたい道とは、自分が残る奈良の
みやこから、男がおもむく越前国までの、数百キロメートルに及ぶ道のことであったのです。

 二人が交わした六十三首もの悲歌を万葉集は採取しました。勅命で罰せられ引き離された二人の歌を、離されてもなお呼び合う二人の歌を、公然と収録した万葉集はたいしたものです。万葉集は二人を「夫婦」と呼んでいます。禁じられた恋であっても、万葉集によって二人は「夫婦」になったのです。


【古語散策】

 君が
く道のながてをたたね 焼きほろぼさむあめの火もがも

 「天の火もがも」の「もがも」、これは願望を表します。天の火があってほしい。

 次の歌も「もがも」の例です。

 来る道は 
いは踏む山の無くもがも わが待つ君が馬つまづくに (巻11・2421)
(あなたが来る道は石を踏む山がなくてほしい。待ち遠しいあなたの馬が躓くから)

 万葉時代は「もがも」であったものが、平安時代になると「もがな」に変化します。たとえば百人一首の次の歌。

 君がため 惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな
(惜しくもなかったこの命であるが、あなたゆえに、長く生きたい思うようになった)



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