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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第42葉(巻15・3772)

 帰りける 人きたれりと 言ひしかば ほとほと死にき 君かと思ひて

 「流刑地から帰った人がやってくる」と人が言ったので、ほとんど死にそうになりました。あなたかと思って。

 前回と同じ
狭野さのの茅上ちがみの娘子をとめの歌です。中臣なかとみの宅守やかもりはすでに配流地の越前にいます。彼女はひたすら彼の帰還を待っています。恩赦などでみやこに帰れる人もいたからです。ある日、「帰りける人きたれり」と誰かが彼女に伝えました。これはそのときの歌です。原文そのままでわかりますね。ほとんど(ほとほと)死にそうになるほどの歓喜を、そして帰還者が彼ではないとわかったときの虚脱を。

 恋人の帰還を彼女が待ったということは、帰ってくれば彼の妻になれると信じていたことになります。許されぬ恋は、そのときは罪にならないのか。どうもそうであるらしい。二人の恋が罰せられたのは、この恋人たちの立場に起因していたと見るほかありません。彼女は「
蔵部くらべの女嬬にょじゅ」という女官でした。この役職は後宮こうきゅう斎宮さいぐうに存在したらしい。彼女がもし後宮の女官なら、天皇のお手付け予備軍であったのかもしれません。もし伊勢斎宮の女官なら、神の近くに仕える者として身を清めていなければなりません。一方の中臣宅守も、中臣氏はもともと神祇官じんぎかんの家柄です。そういう立場の者が後宮や斎宮の女官に手を出すのはたしかにまずい。しかし、彼女が女官をやめてしまえば、なにしろ万葉の時代ですから恋は自由です。彼女が熱い期待をもって宅守を待つことができたのは、たぶんそういうことではないでしょうか。もしそうだとして、恋に落ちたときの二人の立場を考えれば、この恋が天皇をも神をもおそれぬ激しいものであったことを思わずにはいられません。


【古語散策】

 帰りける人
きたれりと言ひしかば ほとほと死にき 君かと思ひて

 「帰りける人来れり」は誰かが語った会話文です。過去助動詞「ける」(終止形は「けり」)によって、その人が流刑地から帰ったのは今ではなくて今より前だとわかります。その人が「来れり」。この「り」は完了の助動詞。今まさにここにやってきた、という感じ。この会話文をそのまま現代語に直訳すると「帰った人が来た」。既に都に帰っていた人が今ここに来た、という時間の関係が、現代語ではうまく言い表せません。現代日本語は動作の完了を言い表す助動詞がなくなっているからです。「帰りける人来れり」は現代日本語には正確には移せない。過去形と完了形を併せ持つ持つ英語などの外国語には元のニュアンスのまま直訳できます。



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