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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第44葉(巻15・3727)

 塵泥ちりひぢの 数にもあらぬ われゆゑ故に 思ひわぶらむ いもがかなしさ

 チリみたいな、ものの数にも入らぬ自分のために、悩み気に病んでくれるあなたのいとおしさよ。

 女(
狭野さのの茅上ちがみの娘子をとめ)の歌ばかり紹介して男(中臣なかとみの宅守やかもり)の方を忘れていました。万葉集が収録した二人の贈答歌六十三首のうち四十首は男の歌です。しかし、和歌としては断然女の方が心を打つ。男の歌は、ひたすら悲しいというのが多い。でも、男はみやこから追放され越前に流刑になったわけですから、都で暮らす女とは境遇がまるでちがう。そのことも考慮してあげないといけませんね。それに歌の才能だけで人は判断できません。狭野茅上娘子をあれほど燃え上がらせた男です。禁断の恋を承知で彼女に挑んだ男です。男としてはきっと魅力に富んでいたのでしょう。一途で行動力があり、女にはやさしく、男ぶりもよかったにちがいない。ただ彼に不利なのは、二人の恋を記録したのが万葉集という歌集であったこと。歌だけを記録した。いい男とは思うけれど、その境遇に同情もするけれど、歌の出来映えは彼女に及ばない。不運としか言いようがありません。
 そこでこの歌ですが、まことに謙虚な姿勢で愛情を吐露しています。やはりいい男です。それにいい歌です。男に歌才がないわけではないのです。しかし女のおそるべき秀歌と並んで出てくるものだから、どうしても見劣りしてしまうのでしょうね。



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