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さくら野歌壇
万葉恋歌
中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む
上野亮介
第45葉 (巻14・3537)
馬柵
うませ
越し 麦
食
は
む
駒
こま
の はつはつに
新肌
にひはだ
触れし
児
こ
ろし
愛
かな
しも
柵
さく
から首だけ差し出して麦を食べる馬のように、ほんのわずかに
新肌
にいはだ
に触れたあの子が、ああ
愛
いと
しいよ。
いわゆる
東歌
あずまうた
。東国の若者の歌です。「
馬柵
うませ
越し麦
食
は
む
駒
こま
の」という表現が、いかにも東国の生活感覚あふれています。柵から首を伸ばして馬が
麦藁
むぎわら
を食べるその格好は、なんともいえず窮屈そうです。馬の立場になってみれば、柵なんか無しで自由に食べたいにきまっています。作者は、自分をその馬に喩えている。「馬柵」は邪魔物の比喩として絶妙です。恋の障害物は、娘の養育に責任をもつ母親でした。変な虫が寄りつかないように、娘は母親に監視されているのです。若者はその監視の目を盗んで彼女と逢った。男が強引に事をなしたわけでなく、娘の方も彼のことが好きだったのでしょう。二人して厳しい監視の目をすりぬけた。たった一回の短い逢瀬であったと思われます。「はつはつに」(ほんのわずかに)という言葉がそれを物語っています。「新肌触れし」と言っているからには、おそらくは、初めて男に体を許した娘の風情を作者は思い返しているのです。しかし、「馬柵越し」の悲しさ、それからはまた逢えずにいる。だからますます
愛
いと
おしいのです。
「
児
こ
ろ」は関東方言。標準語では「児ら」。「子どもたち」ではありません。親愛をこめて恋人(単数)をそう呼びます。「児ろ」と
訛
なま
ってかえって味わいがある。東国の若者の言葉を、その発音のまま万葉仮名で書き
記
しる
したのです。
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