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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第47葉 (巻12・3096)

 馬柵うませ越しに 麦こまの らゆれど なほし恋しく 思ひかねつも

 馬柵うませ越しに麦こまが叱られるように、おまえのお母さんからののしられて、それでも恋しくて、もう耐えられないよ。

 この歌も「馬柵越しに麦食む駒の」で始まります。前々回の
東歌あずまうたに接した都人みやこびとがこの表現の秀逸さに感心し、そっくりそのまま借用したのでしょう。地方なまりはありません。完全な標準語です。この男は、自分も「馬柵越しに麦食む駒」であるとしか思えなかったのです。彼女はしっかり守られていて、思うように近づけないのですから。それでもひそかに逢いに行った。ところが、見つかってしまった。彼女の母親からひどいことを言われて追い返されたのでしょうね。馬はつらいです。娘の方もかわいそうに。でも、さすがお母さん。厳しい。

 娘の母親に撃退された若者はあちこちにいて、次のような歌もあります。

 
が母にられ青雲あをくもの いで吾妹子わぎもこ あひ見て行かむ(巻143519
 (おまえのお母さんに叱られて、私はすごすごと引き返す。自由に空に遊ぶ青雲のように出て来い。吾妹子よ。一目逢って帰ろう)(中西進博士訳)

 年頃の娘の周囲には、こんなのがウロチョロしているのですから、お母さんも忙しい。他方、娘はと言えば、

 たらちねの母に知らえず わが持てる 心はよしゑ君がまにまに(巻11・2537)
 (母に隠して私が抱いている心は、ああ、もう、あなたのお気持ちのままよ)

 いくら男を追い返しても、娘の方がこうでは、まったく油断できません。



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