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万葉恋歌
中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む
上野亮介
第50葉 (巻9・1738)
しなが
鳥
とり
安房
あは
に
継
つ
ぎたる
梓弓
あづさゆみ
周
す
淮
ゑ
の
珠名
たまな
は
胸別
むなわけ
の ひろき
吾妹
わぎも
腰細
こしぼそ
の すがる
娘子
をとめ
の
その
姿
かほ
の
端正
きらきら
しきに
花の
如
ごと
咲
ゑ
みて立てれば
玉桙
たまほこ
の 道行く人は
己
おの
が行く 道は行かずて
召
よ
ばなくに
門
かど
に至りぬ
さし
並
なら
ぶ 隣の君は
あらかじめ
己妻
おのづま
離
か
れて
乞
こ
はなくに
鍵
かぎ
さへ
奉
まつ
る
人皆
ひとみな
の かく
迷
まと
へれば
容
かほ
艶
よ
きに よりてそ
妹
いも
は
戯
たは
れてありける
上総国の
周
す
淮
え
(現在の千葉県君津市付近)にいたという美女を紹介します。
高橋
たかはしの
虫麿
むしまろ
の長歌です。二十九句もある長い歌を取り上げたのは、美人の容姿が具体的に描写されているからです。
古歌にしてはめずらしい。
出だしの三句「しなが鳥安房に継ぎたる梓弓」は枕詞みたいなもの。今の場合、意味がわからなくてもかまいません。その次の「周淮の珠名は」から見ていきましょう。
彼女の名は
珠名
たまな
といいます。第一印象は「
胸別
むなわけ
のひろき
吾妹
わぎも
」。胸がくっきり分かれていて、しかも豊かであった。視線を下に移せば「
腰細
こしぼそ
のスガル
娘子
をとめ
」。スガルとは蜂のことです。キュッと締まった腰が立派なお尻につながっている。そんな体型の持ち主を「スガルをとめ」と言います。顔に目をやれば、その容貌は、漢字で表現すれば「端正」、大和言葉で言えば「きらきらし」。目鼻立ちのバランスがよく、しかもあでやかなんですね。その顔で
微笑
ほほえ
むと、まるで花が咲いたようです。微笑んで彼女が立てば、道行く人は自分の行くべき道を行かないで、呼んでもいないのに彼女の家にやってきます。隣に住む男は、あらかじめ妻を離縁して、頼んでもいないのに自分の家の鍵を彼女に
奉
たてまつ
る始末。男たちがみんな、このように彼女の色香に迷うので、「
容
かほ
艶
よ
きによりてそ
妹
いも
は
戯
たは
れてありける」(美貌によって彼女は
戯
たわむ
れて過ごした)。
実に魅力的な人ではありませんか。美しさを武器に遊んで暮らす性根は見上げたものです。こういう美人はいるのです。それが万葉の時代にもいたというのがおもしろい。描き方がいいですね。作者は批判めいたことは言わず、ありのままを描いています。といっても、珠名は伝説上の人ですから、実景を歌ったのではなく、聞いた話を歌にしたのでしょうけど、淡々としていながらユーモアがある。何よりも千数百年前の美女の姿をありありと伝えてくれたことに感謝しなければなりません。何をもって「美女」とするかは人によってまちまちであるにせよ、世間で好まれがちな美女の要件が、現代と変わらないことにちょっと安心しました。
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