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万葉恋歌
中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む
上野亮介
第71葉 (巻20・4327)
わが
妻
つま
も
絵
ゑ
に
描
か
きとらむ
暇
いづま
もが 旅
行
ゆ
く
吾
あれ
は 見つつしのはむ
作者の出身は
遠江
とおとうみ
国。歌意は、わが妻も絵に写しとる暇がほしい、旅行く私は、それを見ながら妻をしのぶものを。(中西進博士の訳)
故郷に残してきた妻への思いは他の防人たちと同じですが、この歌が風変わりなのは、妻の絵を描きたいと言っていること。彼は絵を描く
技
わざ
がほしいとは言っていません。絵を描く時間がほしいと言っている。つまり、絵の技はもっていたことになる。彼は絵師なのでしょうか。高松塚古墳の女人壁画も興福寺の少年阿修羅像もそのころの作品ですから、あの美術水準をもってすれば、妻の肖像画ぐらいは描けたでしょう。しかし、この歌の作者が住んでいたのは、今の静岡県浜松市あたり、当時は
辺鄙
へんぴ
な田舎です。千数百年前のそんなところに画家がいたというのは、私たちの先入観からすれば、ちょっと考えにくい。それでも、いたのだと思います。妻の姿を絵に描き移すという発想は、美術に縁のない人には出てこない。彼は絵が描けた。少なくとも身近で絵師に接していた。人の姿は絵に写し取れると知っていた。そうでなければ、こんな歌は生まれません。しかし、兵役に画家か農民かは関係ありません。居住地と性別と年齢だけで決められます。防人の制度は彼にも適用されただけなのです。
作者の名は、
物部
もののべの
古麿
こまろ
。
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