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万葉恋歌
中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む
上野亮介
第74葉 (巻20・4414)
大君
おほきみ
の
命
みこと
畏
かしこ
み
愛
うつく
しけ
真
ま
子
こ
が
手
て
離
はな
り 島
伝
づた
ひ
行
ゆ
く
大君の命令を謹んで
承
うけたまわ
り、
愛
いと
しく
麗
うるわ
しい恋人の手を離れて、私は島伝いに西へ行く。
「
真
ま
子
こ
」は「きれいな子」という意味。重ねて「
愛
うつく
しけ」(「
愛
うつく
しき」の意)と形容していますから、よほど魅力的な恋人なのでしょう。彼女への思いを振り切って、彼女と離ればなれになっても、島伝いに瀬戸内海を行く。大君(天皇)の命令だからです。勇敢さと
潔
いさぎよ
さを併せ持ったこの歌の作者は、
武蔵
むさし
国
秩父
ちちぶ
郡(今の埼玉県)にあった
大伴部
おおともべ
の男です(名は
大伴部
おおともべの
少歳
おとし
)。大伴部は古代豪族大伴氏に服属してきた集団。その大伴氏は、神話の時代から天皇に付き従ってきた一族で、かつては「
大君
おほきみ
の
御門
みかど
の守り、
我
われ
をおきて人はあらじ」とまで自認した誇り高い軍事氏族でした。この一族が好んで吟唱した歌が万葉集に残されています。
海
行
ゆ
かば
水
み
浸
づ
く
屍
かばね
山
行
ゆ
かば 草
生
む
す
屍
かばね
大君
おほきみ
の
辺
へ
にこそ死なめ
顧
かへり
みはせじ
(海に征けば水につかる屍、山に戦えば草のはえる屍、大君のかたわらに死のう。わが身をふりむくまい)(中西進博士訳)
この大伴氏に率いられた集団が東国にもいたのです。「
大君
の
命
みこと
かしこみ」という言葉は、彼らの中に脈々と受け継がれてきた大王への忠誠を示しています。
次も防人の歌としては数少ない勇ましい例ですが、作者は太陽祭祀を職務とする一族の出だと言われています。
今
け
日
ふ
よりは かへりみなくて
大君
おほきみ
の
醜
しこ
の
御
み
楯
たて
と
出
い
で立つ
我
われ
は(巻20・4373)
(今日からは我が身を顧みず、無骨ではあるが、大君の御盾となって出陣する私である)
これらはいずれも大王に古代的忠誠を誓った者たちの歌として秀歌であり、古代の雄々しい息吹を伝えています。昭和の戦争の時代、これらの歌が好んで引用されたことから、戦後は逆に忌避されがちになりました。しかし、近代のたかだか二十年足らずの出来事のために、古代詩歌の千年の価値が減じるわけではないのです。
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