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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第75葉 (巻1・1)

 もよ み持ち
 
掘串ふくしもよ み掘串ぶくし持ち
 この丘に 
摘ます
 家聞かな 名らさね
 そらみつ 
大和やまとの国は
 おしなべて われこそ

 しきなべて われこそ

 われこそは
らめ 家をも名をも

 かごよ、美しいかごを持ち、掘串ふくし(若菜の採取具)よ、美しい掘串ふくしを持ち、この丘に若菜摘む少女、家を聞きたい、名前を教えてほしい、そらみつ大和の国は、すべてをひれ伏させて、この私がいるのだ、すべての上に、この私が君臨しているのだ、私は言おう、家をも名をも。

 万葉集の巻頭を飾るだけあって、いかにも万葉風の歌です。早春の若菜摘みの風景が鮮やかです。乙女の出で立ちまで目に見えるようです。当時の常として、娘は赤い
(スカート)を身につけていたはず。その姿でカゴを持ち、竹ベラのような採取具を手に若菜を摘んでいます。容貌には触れられていませんが、通りすがりの男の「家を聞きたい、名を教えてほしい」という言葉によって、魅力的な美貌の少女であることがわかります。その時代、乙女に名を尋ねるのは、結婚の申し込みみたいなものですから。彼女は頬を染めたでしょう。でも相手が何者かわからなければ答えようがありません。だから男は自分が誰であるかを明かすのです。この人、実は五世紀の英雄・雄略ゆうりゃく天皇なのですが、その名乗り方が古代的な誇りに満ちていて、実に堂々としています。少女はビックリしたことでしょう。ここで歌は終わっています。この求愛に彼女がどう答えたかは伝わっていません。しかし、「はい、天皇さま、御意ぎょいのままに」とは言わなかったにちがいない。たぶん名も教えなかったのではないか。天皇を手こずらせたに相違ありません。それが万葉の女です。そのことが予感されるという意味でも、万葉集の巻頭にふさわしい歌です。



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