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さくら野歌壇

万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第80葉 (巻4・661)

 恋ひ恋ひて へる時だに うるはしき ことつくしてよ 長くと思はば

 ひたすら恋い慕って、やっと逢えた時ぐらいは、どうか愛の言葉を尽くしてください。この恋を長く続けようと思うのであれば。

 恋心を歌い上げることにおいて
大伴おおともの坂上さかのうえの郎女いらつめの右に出る人はあまりいません。この歌も「恋ひ恋ひて」と出だしから切迫しています。それほど恋心を募らせてやっと逢えたときぐらいは、と、恋心の切っ先を一気に絞り込みます。そのときぐらいは「うるはしきことつくしてよ」。実に女らしい言葉です。彼女はうれしい言葉をかけてほしいのです。言葉を尽くして愛を語ってほしいのです。そのことを、これ以外ないという表現で訴えている。しかし、恋心に負けてばかりいるのではありません。最後に「長くと思はば」(この恋を長く続けたいとあなたが思うのであれば)と付け加えているからです。男が言葉を尽くさないと、恋は長くは続かない。心に愛があればよいと思いがちな日本男児に、「その愛を言葉にしなさい」とストレートに要求している。燃えるような恋心を歌っていながら、同時に男を諭す不思議な歌です。

 この不思議さには理由があります。この歌を贈られた人物は、どうも彼女の恋人ではなく、彼女の娘の恋人であったらしい。そうだとすると、母が娘の代わりに、娘のために、娘のふりをして、娘の恋心を歌ってやったことになる。しかし、恋の手練れ、恋歌の名手、大伴坂上郎女その人がつい顔をのぞかせてしまったと言うべきか。女にとって恋とは言葉なのよ、しっかりしなさい、と、母たる自分のおメガネにもかなった求婚者を諭す次第とあいなったわけです。



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