第81葉 (巻4・650)
|
吾妹子は 常世の国に 住みけらし 昔見しより 変若ちましにけり |
あなたは常世の国に住んでいたようですな。前見たときより若返ってしまわれたではありませんか。
久しぶりに恋人に会ったときの男の驚きを歌っています。「変若つ」は、若返ること。「常世」というのは、たとえば竜宮城みたいな、年を取らない神仙境。
前節の大伴坂上郎女の歌「愛しき言尽してよ」が気になっていたところ、この歌が目にとまりました。こんな風に言われたら女は喜ぶだろうなと。仮にお世辞にしても、口からでまかせというわけでもなし、実際に若々しい感じだったのでしょう。その印象を大げさな言葉にした。一応合格、ということで、坂上郎女さん、いいでしょうか。
|
【古語散策】
吾妹子は 常世の国に住みけらし 昔見しより変若ちましにけり
この歌には二種類の過去助動詞が使われています。「見し」(終止形は「見き」)と「変若ちましにけり」がそれです。「変若ち・まし・に・けり」は、敬語や完了の助動詞も入っています。話を単純にするため、それらをはずして単なる過去表現にすれば「変若ちけり」。
「昔見しより変若ちけり」(昔見た時より若返った)。どちらの助動詞も過去を表しますから、この二つを入れ替えてみましょう。「昔見けるより変若ちき」。何か変ですね。実際こういう言い方はしません。なぜか。同じ過去でも「き」と「けり」はニュアンスが異なるからです。
「き」は終わった過去、「けり」は現在に続く過去、という風に専門家は解説しています。あるいは、「き」は客観的な過去、「けり」は主観的な思いが入っていると。「むかし見た」というのは終わった話で、彼女が若返った事態は今に続いています。「見た」は客観的事実で、「若返った」は主観的感想。だから「昔見しより変若ちけり」という表現になるわけです。
このことに関連して、歴史記述に使われるのは「き」の方です。それに対して「けり」は、話し手の主観が入ったり、人から聞いた不確かな過去であったりすることが多い。『伊勢物語』の「むかし、男ありけり」は物語にふさわしい出だしなのです。これが「むかし、男ありき」では歴史書みたいな感じになって、続けて氏名や生年月日の記述があるのかなと、読者を勘違いさせてしまいます。
|