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万葉恋歌
中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む
上野亮介
第85葉 (巻10・1857)
毎年
としのは
に 梅は咲けども うつせみの
世
よ
の人君し 春なかりけり
毎年、梅の花は咲くけれど、この世の人であるあなたには、春はないのですね。
これはどう考えても恋歌ではありません。でも、夫婦の間で交わされた歌だと考えれば、いかにもありそうな話で、つい取り上げてしまいました。
春、庭の梅を眺めていた妻が、急にため息をついた。
夫が「どうしたの」と尋ねると、妻は夫の方を振り返り、「あなたに春は来ないのね」。
夫は意表をつかれ、出世から取り残されている自分を顧みて言葉が出ない。
相手を「君」と呼んでいますから、これは夫のことであろうと、上のような解釈になるわけです。
「君」という呼称は上司に対しても使います。その場合は、平社員が万年係長に向かって「係長殿に春はないのですね」と放言したようなもの。
「うつせみの世の人君し」は、「(花の世界でなく)現実世界の人であるあなた」という意味。最後の「し」は「君」を強調しています。妻が「あ・な・た」と夫を指さしている姿を想像すればよい。
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