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万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第88葉 (巻11・2399)

 赤らひく はだには触れず ぬるとも 心をしく わが思はなくに

 赤みがさしているおまえの白い肌に触れずに寝ても、他の女のことを気にしているわけではないのだよ。

 これはまた珍しい情景ですね。「赤らひく肌」というのですから、女が心を決めて横たわっているのがわかる。その体に指一本触れずに男は寝るのです。誰でもおかしいと思う。当の女もそう思う。いったいどうしたのでしょう。
 理由はいろいろ考えられます。
 人の道や宇宙の哲理でも考えていたのでしょうか。「やわ肌のあつき
血汐ちしほにふれも見でさびしからずや道を説く君」(与謝野晶子)という例もありますから。
 あるいは、女がまだ少女だったのでしょうか。司馬遼太郎が小説家らしい想像と表現をもって「
、二月、春草いまだえるにいたらず」と、虞美人とこうの出会いのときを描いたように、男は女の成熟を待ったのか。
 いやいや、このとき男は病気で、その気になれなかったというのもあり得る。
 この歌からは本当の理由はわかりません。しかし、ある理由だけは否定しています。男は実は別の女を愛していて、その女への義理立てから、事ここに至っても手を出さないというケース。そう思われたら困るから、「心を
しくわが思はなくに」(私は異心は持っていませんよ)、つまり他の女のことを思っているわけではないと言うのです。
 この男、憎いですね。女が一番こたえる理由だけを否定している。それさえ否定しておけば、あとはどうでもよいといわんばかりです。たしかに男が哲学しようが、春草が萌えるのを待とうが、腹痛だろうが、心が自分に向いているのであれば、女はまあ許せるでしょう。



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