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万葉恋歌

中西進博士の文庫本『万葉集』(講談社文庫)を読む

                     上野亮介



 第91葉 (123079

 わたつみの おき玉藻たまもの なびむ はやませ君 待たば苦しも


 沖の海藻がゆらゆらと靡くように、そのようにしてあなたと寝たい。早くいらしてください。待つのが苦しいの。

 「わたつみの」は「海」や「沖」に係る枕詞です。
 と、堅苦しく古語の説明からでも始めなければ、すぐには言葉が出ません。
 玉藻(きれいな海藻)が靡くとは、男女の営みの、女のありさまの比喩であり、まことになまめかしい。揺れ動きつつ、そこにあるものにからみつく。自身のそんな姿が彼女の脳裏に浮かんでいる。
 そのようにして寝たいと言う。
 早く来てほしいと。
 もう待てないと。
 性愛への渇望をここまで単刀直入に詠んだ歌もめずらしい。でも、きわどい内容でありながら、歌としてすぐれているのがいいですね。古式ゆかしく「わたつみの」で始まり、海の玉藻の風景を導きだす。一転、「寝む」「来ませ」「苦し」と、ひとつひとつ区切りをつけて畳みかけるように心情を吐露する。
 実によく出来ています。これを散文で表現したら淫らな感じになるのは避けられませんが、和歌という韻律詩の形をとっているがゆえに、しかも出来映えがよいだけに、万葉の情熱ということで立派に通用します。



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